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黒田清輝のお墓(7月15日が命日)

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黒田清輝のお墓(7月15日が命日)

黒田清輝のお墓(7月15日が命日)

2024/07/15

黒田清輝のお墓(7月15日が命日)

 

黒田 清輝(くろだ せいき、旧字体:黑田 淸輝、1866年8月9日(慶応2年6月29日) -
 1924年(大正13年)7月15日)は、日本の洋画家、政治家。
位階は従三位。勲等は勲二等。爵位は子爵。通称は新太郎(しんたろう)。
名の清輝は、本名は「きよてる」だが、画名は「せいき」と読みます。
教え子からは「メートル(先生)」とフランス語(maître)で呼ばれました。
東京美術学校教授、帝国美術院院長(第2代)、貴族院議員などを歴任。

1910年10月18日には洋画家として最初の帝室技芸員に選ばれ、
また帝国美術院院長などを歴任しました。
1917年には養父の死去により子爵を襲爵します。
第5回貴族院子爵議員互選選挙の補欠選挙で当選し、
1920年3月20日に貴族院議員に就任しています。

1923年関東大震災の際に、清輝の家に避難した甥の黒田頼綱に絵を教授し
画家を目指すきっかけを与えます。のちに頼綱は朝井閑右エ門、井出宣通らと新樹会を設立、
光風会等で活躍する事になります。
1924年、尿毒症のため死去。59歳でした。


東京都・港区の長谷寺に眠ります。

 

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