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長谷川一夫のお墓(4月6日が命日)

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長谷川一夫のお墓(4月6日が命日)

長谷川一夫のお墓(4月6日が命日)

2024/04/06

長谷川一夫のお墓(4月6日が命日)

 

長谷川 一夫(はせがわ かずお、1908年(明治41年)2月27日 -

1984年(昭和59年)4月6日)は、日本の俳優。
旧芸名に林 長丸(はやし ちょうまる)、林 長二郎(はやし ちょうじろう)。
愛称は長さん。身長162cm。
戦前から戦後の長きにかけて、日本映画界を代表する二枚目の時代劇スターとして活躍し、
同時代の剣戟俳優である阪東妻三郎、大河内傳次郎、嵐寛寿郎、
片岡千恵蔵、市川右太衛門とともに「時代劇六大スタア」と呼ばれました。

 

歌舞伎界から松竹に入り、松竹時代劇の看板俳優となりました。
その後東宝、大映と移り、300本以上の作品に出演。
舞台やテレビドラマでも大きな活躍を見せており、
晩年には宝塚歌劇『ベルサイユのばら』の初演で演出を行った。
没後に俳優では初の国民栄誉賞を受賞。
最初の妻は初代中村鴈治郎の次女・林たみ。
のちに離婚し、新橋の名妓・飯島繁と再婚。
俳優の林成年は長男、女優の長谷川季子と長谷川稀世は長女・次女、

また稀世の娘に女優の長谷川かずきがいます。

 

1953年(昭和28年)、イーストマン・カラー第1作である、衣笠監督の『地獄門』に主演。
作品はカンヌ国際映画祭グランプリとアカデミー賞外国語映画賞を受賞した。
翌1954年(昭和29年)、溝口健二監督の『近松物語』に主演。
1955年(昭和30年)7月、この年より東宝歌舞伎を主宰し、
東京宝塚劇場を中心に新歌舞伎座、御園座、中日劇場で公演を行い、大成功させます。
年2回ほど公演を行い、二代目中村扇雀(四代目坂田藤十郎)、十七代目中村勘三郎、
六代目中村歌右衛門ら豪華なゲスト出演で知られ、華やかなレヴュー『春夏秋冬』などの公演で人気を得ました。

1958年(昭和33年)、後援会「長谷川一夫の会」により

『長谷川一夫 画譜 映画生活三十周年の記録』が編まれました。

 

1963年(昭和38年)、『江戸無情』(西山正輝監督)を最後に、「後進に道を開く」と言い残し、
ひとまず映画界を去ります。ここまで大映のトップスターであり続けました。
以後は、東宝歌舞伎など演劇を中心に活躍したが、テレビドラマにも多く出演し、
1964年(昭和39年)には大河ドラマ『赤穂浪士』に大石内蔵助役で主演、

これが生涯の当たり役のひとつとなりました。
1974年(昭和49年)、宝塚歌劇の『ベルサイユのばら』初演の演出を行い、大きな話題になりました。

 

1983年(昭和58年)、東宝歌舞伎正月公演『半七捕物帳』が最後の舞台となり、
同年秋に糖尿病の悪化で入院。翌1984年(昭和59年)には繁夫人と死別。
その時から急速に衰え、後を追うようにして4月6日、

頭蓋内膿瘍のため東京慈恵会医科大学附属病院で死去。享年76。
没後、国民栄誉賞を受賞しました。

 

墓は本法寺と東京都台東区の谷中霊園にあります。
 

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