加藤芳郎のお墓(1月6日が命日)
2024/01/06
加藤芳郎のお墓(1月6日が命日)
加藤 芳郎(かとう よしろう、1925年〈大正14年〉6月25日 - 2006年〈平成18年〉1月6日)は、
日本の漫画家、放送タレント。
病院の給仕として昼間に働きながら、旧制東京府立第六中学校夜間部に通学。
そのころ、1939年(昭和14年)、雑誌『アサヒグラフ』の投稿欄に漫画が掲載され、
賞金を受け取ったことをきっかけに、プロ漫画家の夢を抱きます。
『週刊少国民』『オール讀物』『モダン日本』などで入選を重ね、
近藤日出造主宰の『漫画』で一等入選するに至りました。
冨田英三によれば、近藤はこのころの加藤を「おそるべき少年」と激賞していたといいます。
才能が開花していたのでしょう。
府立六中を卒業後、川端画学校で学んだのち、東京都防衛局職員となり、
ほどなくして「北支の歩兵部隊」の隊員として出征。古北口で敗戦を迎えます。
1945年(昭和20年)12月に復員後、都庁に復職しますが、
所属していた防衛局が廃止されて消滅していたため、建設局公園緑地課に移籍し、
案内看板の製作に従事します。ここでも絵の技術が生かされます。
『漫画』誌への投稿を再開し、主宰の近藤日出造から直接プロへの転向をすすめられます。
1948年(昭和23年)に都庁を退職し、専業漫画家として独立。
『オンボロ人生』『オレはオバケだぞ』『千匹の忍者』などの連載作品を通じ、
「庶民生活のペーソスをナンセンスにえがいた」一躍作風で人気となります。
硬質な線とシンプルな造形による極端にデフォルメされた人物描写と、
角張り、押しつぶしたような筆跡の書き文字が特徴。
1954年(昭和29年)から毎日新聞夕刊で連載された『まっぴら君』は、
2001年(平成13年)6月23日掲載を最後に病気で中断するまで連載47年間、
13615回に達し、全国紙では空前の連載記録を樹立しました。
漫画界では横山泰三、荻原賢次とともに「戦後派三羽烏」と呼ばれます。
1981年から1996年の間、日本漫画家協会の理事長・会長を歴任し、
同協会の社団法人化に尽力しました。
私は加藤芳郎といえば『お笑いマンガ道場』を思い出します。
毎週笑って見ていました。
たまにサラサラっと描く感じがカッコ良かったです。
<加藤芳郎は東京都の小平霊園に眠る>
チャプリン似の穏やかな笑顔と持ち前のユーモアさで親しまれた加藤芳郎の墓は、
東京都東村山市の小平霊園にあります。洋型の墓には「加藤家」とあり、
背面に墓誌が刻間れています。戒名は、「妙筆院孤芳日泰居士」。合掌=
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