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淀川長治のお墓(11月11日が命日)

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淀川長治のお墓(11月11日が命日)

淀川長治のお墓(11月11日が命日)

2024/11/11

淀川長治のお墓(11月11日が命日)

 

淀川 長治(よどがわ ながはる、1909年(明治42年)4月10日 -
 1998年(平成10年)11月11日)は、日本の雑誌編集者、
映画解説者、映画評論家。
約32年に渡って務めた『日曜洋画劇場』の解説の締め括りに
「サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ…」
と強調して言う独特の語り口から全国的に有名になり、
「ヨドチョーさん」「ヨドさん」「サヨナラおじさん」等と
呼ばれる程に多くの視聴者に親しまれてきました。

 

淀川は1960年(昭和35年)から1963年(昭和38年)まで、
NETテレビ(現:テレビ朝日)で放送された
海外ドラマ『ララミー牧場』の解説で脚光を浴びます。
その後、1966年(昭和41年)から始まった
同局の長寿番組『日曜洋画劇場』(当初は『土曜洋画劇場』)の
解説者として、番組開始から死の前日までの
32年間、出演し続けました。
(私もよく見ました)

番組冒頭で「ハイ皆さん、こんばんは」から始まり、
「怖いですねえ、恐ろしいですねえ」の節回しや
番組末尾の「それでは次週を御期待(お楽しみ)下さい。
サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ...」は
名台詞として語り草とされており、
子供たちやタレントの小松政夫がこれをものまねするなど
一躍お茶の間の人気者となりました。


1968年 - 1969年放送のアニメ『怪物くん』(TBS)では、
番組途中の解説や
エンディングのナレーターとして起用されている。

番組開始当初は「サヨナラ」の回数が毎回異なっていたが、
ある日、小学生の少年から直接電話を受け、
「淀川さんが『サヨナラ』と何回言うかが
友達の間で毎週賭けられている」との話を耳にします。
実際は、賭けといってもただ当たったら
自慢するだけのたわいのないものでしたが、
淀川は少年に「賭けをするのは良くないことだ」と諭し、
それからは「サヨナラ」の回数は3回だけにすると決めたのです。
なお、それまで「サヨナラ」の回数が
毎回異なっていたのは、単に放送終了まで
「サヨナラ」と連続して言い続けたからで、
意図したものではないと本人は語っています。


おまけに、解説では正面を向かっていましたが、
この「サヨナラ」を連呼する時だけは

何故か斜めを向いていました。
また1970年代にはTBSラジオ(東京放送)の
『ゴールデン・ワイド』で週1回・生放送で、
映画作品の解説や出演者の人物像を述べた
「淀川長治のラジオ名画劇場」が放送され、
TBSブリタニカより書籍版も発売されました。

 

1998年(平成10年)9月6日、生涯の親友であった
黒澤明が死去しました。
黒澤の通夜に車椅子で参列した淀川は、
既に自身の死期も悟っていたかのように、
棺の中の黒澤に向かって
「泣かないよ。僕もあとから追いかけるから、もうすぐだよ」
と語りかけていたといいます。
その後、体調を崩した淀川は
東京大学医学部附属病院に入院しますが、
同年11月11日午後8時9分、
腹部大動脈瘤破裂に伴う心不全により死去します。
89歳没[。命日は奇しくも
淀川の父・又七と同じ日でした。


淀川は生涯独身で子供がいなかったため、
喪主は姪である編集者の淀川美代子が務めました。

淀川の死から1か月後の1998年12月13日、
青山葬儀所で一般のファンを含めた
約3,000人が参列して
「淀川長治さん さよならの会」が開かれ、
淀川との最後の別れを惜しみました。
また、淀川が生前に書き残した原稿を元とした
遺著が同年末から翌1999年にかけて
相次いで出版されました。


淀川の著書は没後も新編で再刊され続け、
現在までに100冊を超えています。
戒名は「長楽院慈悲玉映大居士」。
慈しみの眼で映画を長く楽しみ、
すべての映画を珠玉の名作として
鑑賞した人という意味が込められています。

墓所は兵庫県神戸市の須磨寺にあります。

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