メンデルスゾーンのお墓(11月4日が命日)
2024/11/04
メンデルスゾーンのお墓(11月4日が命日)
ヤーコプ・ルートヴィヒ・フェーリクス・
メンデルスゾーン・バルトルディ
(Jakob Ludwig Felix Mendelssohn Bartholdy,
1809年2月3日 - 1847年11月4日)は、
ドイツ・ロマン派の作曲家、指揮者、
ピアニスト、オルガニストです。
哲学者モーゼスを祖父、銀行家のアブラハムを父親に、
作曲家ファニーを姉として生まれたメンデルスゾーンは、
神童として幼少期から優れた音楽の才能を示しました。
作曲家としては「ヴァイオリン協奏曲」『夏の夜の夢』
『フィンガルの洞窟』「無言歌集」など
今日でも広く知られる数々の作品を生み出し、
またバッハの音楽の復興、ライプツィヒ音楽院の設立に
よって19世紀の音楽界へ大きな影響を与えました。
ユダヤ人の家系であったメンデルスゾーン家は
謂れなき迫害を受けることが多く、それは
キリスト教への改宗後もほとんど変わりませんでした。
そのような状況にもかかわらずフェーリックスの業績・
影響力は強く、終生ドイツ音楽界の重鎮として君臨しました。
死後は再び反ユダヤ主義のあおりを受けて
彼の音楽への貢献は過小評価されますが、
今日では再評価の機運も高まりを見せています。
メンデルスゾーンは晩年、神経症の悪化と
過労によるものと思われる不健康に苦しめられます。
イングランドへの最後の演奏旅行は、その過密日程から
彼を疲弊させ、病へと追いやります。
1847年5月14日に姉のファニーが死去したことで、
彼は苦悩に苛まれます。それから半年にも満たない
11月4日、メンデルスゾーン自身も
ライプツィヒで度重なる発作の末、
帰らぬ人となりました。38歳。
かねてから体調が思わしくなく、症状より
死因は脳卒中と思われます。最期の言葉は
「疲れたよ、ひどく疲れた。」でした。
祖父のモーゼス、姉のファニー、
そして両親も同じ脳卒中で最期を迎えています。
彼の葬儀はライプツィヒのパウリン教会で執り行われ、
亡骸はベルリン、クロイツベルク区の聖三位一体教会の
第1墓地に埋葬されました。棺には
モシェレス、シューマン、
ニルス・ゲーゼなどが付き添いました。
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