北原白秋のお墓(11月2日が命日)
2024/11/02
北原白秋のお墓(11月2日が命日)
北原 白秋(きたはら はくしゅう、
本名:北原 隆吉(きたはら りゅうきち)、
1885年(明治18年)1月25日 -
1942年(昭和17年)11月2日)は、
日本の詩人、童謡作家、歌人。帝国芸術院会員。
詩、童謡、短歌以外に、
新民謡でも『ちゃっきり節』など
傑作を残しています。
生涯に数多くの詩歌を残し、
今なお歌い継がれる童謡を数多く発表し
活躍した時代は「白露時代」と呼ばれ、
三木露風と並び評される
近代日本を代表する詩人です。
弟はそれぞれ出版人となり、
北原鉄雄は写真・文学系出版社アルスを、
北原義雄は美術系のアトリエを創業しました。
娘は三菱財閥創業家・岩崎家の末裔に嫁ぎます。
従弟の北原正雄は写真系の玄光社を創業しました。
1937年(昭和12年)、糖尿病および腎臓病の合併症のために
眼底出血を引き起こし入院。視力はほとんど失われますが、
さらに歌作に没頭する。1938年(昭和13年)には
ヒトラーユーゲントの来日に際して
『万歳ヒットラー・ユーゲント』を作詞するなど、
国家主義への傾倒が激しくなったのもこの頃のことです。
1940年(昭和15年)、日本文化中央聯盟の委嘱で交声曲
『海道東征』(曲: 信時潔)の作詩にあたります。
1941年(昭和16年)春、数十年ぶりに柳川に帰郷し、
南関で叔父の墓参をし、さらに宮崎、奈良を巡遊。
またこの年、帝国芸術院会員に就任するも、
年末にかけて病状が悪化。
1942年(昭和17年)、川田順と
日本文学報国会が情報局と大政翼賛会の後援、
毎日新聞社の協力により『愛国百人一首』を編纂した際、
北原も選者に選ばれますが、北原は小康を得て
病床に執筆や編集を続けるも、
11月2日、糖尿病と腎臓病のため
阿佐ヶ谷の自宅で逝去。57歳没。
同年11月12日、叙勲(勲四等瑞宝章)。
墓所は多磨霊園(東京都府中市)。
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