喜多川歌麿のお墓(10月31日が命日)
2024/10/31
喜多川歌麿のお墓(10月31日が命日)
喜多川 歌麿(きたがわ うたまろ、1753年(宝暦3年) -
1806年10月31日(文化3年9月20日)は、
江戸時代の日本で活躍した浮世絵師。
姓は北川、後に喜多川。幼名は市太郎、
のちに勇助(または勇記)と改めます。名は信美。
初めの号は豊章といい、天明初年頃から歌麻呂、哥麿と号しました。
生前は「うたまる」と呼ばれていたが、
直接本人を知るものが居なくなった19世紀過ぎから
「うたまろ」と呼ばれるようになったと言われます。
なお、天明2年(1782年)刊行の歳旦帖『松の旦』に
「鳥山豊章」「鳥豊章」の落款例があります。
俳諧では石要、木燕、燕岱斎、
狂歌名は筆綾丸ふでのあやまる、紫屋と号して、
蔦屋重三郎とともに吉原連に属しました。
生年、出生地、出身地などは不明。
生年に関しては、没年(数え54歳)からの逆算で
1753年(宝暦3年)とされることが多いです。
出身に関しては、川越説(野口米次郎、関根只誠)と
江戸市中の2説が有力ですが、
他にも京、大坂、近江国、下野国などの説もあります。
1804年(文化元年)5月、
豊臣秀吉の醍醐の花見を題材にした
「太閤五妻洛東遊観之図」(大判三枚続)を描いたことがきっかけで、
幕府に捕縛され、手鎖50日の処分を受けます。
織豊時代以降の人物を扱うことが禁じられていたからである。
これ以降、歌麿は病気になったとされます。
版元たちは回復の見込みがないと知ると、依頼が殺到したといいます。
二年後の1806年(文化3年)死去。
墓所は世田谷区烏山の専光寺。戒名は秋円了教信士。
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