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尾崎紅葉のお墓(10月30日が命日)

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尾崎紅葉のお墓(10月30日が命日)

尾崎紅葉のお墓(10月30日が命日)

2024/10/30

尾崎紅葉のお墓(10月30日が命日)

 

尾崎 紅葉(おざき こうよう、1868年1月10日
(慶応3年12月16日) -1903年(明治36年)10月30日)は、
日本の小説家。本名、徳太郎。「縁山」「半可通人」
「十千万堂」「花紅治史」などの号も持つ。
帝国大学国文科中退。1885年(明治18年)、山田美妙らと
硯友社を設立し「我楽多文庫」を発刊。
『二人比丘尼色懺悔』で認められ、『伽羅枕』『多情多恨』などを書き、
幸田露伴と並称され(紅露時代)、
明治期の文壇に重きをなしました。

泉鏡花、田山花袋、小栗風葉、
柳川春葉、徳田秋声など優れた門下生がいます。


俳人としても角田竹冷らとともに秋声会を興し、
正岡子規と並んで新派と称されます。

1895年(明治28年)、『源氏物語』を読み、
その影響を受け心理描写に主を置き
『多情多恨』などを書きます。そして1897年(明治30年)、
「金色夜叉」の連載が『読売新聞』で始まります。
貫一とお宮をめぐっての金と恋の物語は
日清戦争後の社会を背景にしていて、
これが時流と合い、大人気作となりました。


以後断続的に書かれることになりますが、
元々病弱であったためこの長期連載が災いし、
1899年(明治32年)から健康を害します。
療養のために塩原や修善寺に赴き、1903年(明治36年)に
『金色夜叉』の続編を連載(『続々金色夜叉』として刊行)しますが、
3月、胃癌と診断されて中断。
進んでの治療を行いますが

10月30日、自宅で没します。享年35。
戒名は彩文院紅葉日崇居士。紅葉の墓は青山墓地にあり、
その揮毫は、硯友社の同人でもある親友巖谷小波の父で
明治の三筆の一人といわれた巖谷一六によるものです。

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