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川上哲治のお墓(10月28日が命日)

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川上哲治のお墓(10月28日が命日)

川上哲治のお墓(10月28日が命日)

2024/10/28

川上哲治のお墓(10月28日が命日)

 

川上 哲治(かわかみ てつはる、
1920年(大正9年)3月23日 - 2013年(平成25年)10月28日)は、
熊本県球磨郡大村(現在の人吉市)出身の
プロ野球選手(内野手、投手)・監督・解説者。
妻は宝塚歌劇団娘役の代々木ゆかり(在団1936年 - 1944年)。
ノンフィクション作家の川上貴光は長男。

 

現役時代より、「ボールが止まって見える」と
名言を残すほど、その卓越した打撃技術から
「打撃の神様」の異名を取り、日本プロ野球史上初の
2000安打を達成しました。
戦時中から戦後におけるプロ野球界の
スターとして活躍。終戦直後は「赤バット」
を使用して川上のトレードマークとなり、
「青バット」を使用した大下弘と共に
鮮烈な印象を与えました。
また、青田昇や千葉茂と共に
第一次巨人黄金時代の打の中心選手でもあり、
NPB初のベストナイン(一塁手部門)を受賞しています。
監督としてもアル・キャンパニスによって
定型化された『ドジャースの戦法』の実践を目指し、
王貞治・長嶋茂雄らを率いて読売ジャイアンツの
黄金時代を築き上げ、プロ野球史上唯一の「V9」
(9年連続セ・リーグ優勝・日本一)を
達成するなど多大なる功績を残し、
「プロ野球界の生き神様」とまで呼ばれる
伝説的な存在となりました。


川上のリーグ優勝回数11回は鶴岡一人と
並ぶプロ野球の監督史上最多記録であり、
日本一11回もプロ野球の監督史上最多記録です。
引退後は少年野球教室を開くなど、
普及に努めました。
愛称は「打撃の神様」「哲」「カワさん」
「ドン川上」「赤バットの川上」、
長年世田谷区野沢に居住したことから
「野沢のおやじさん」とも呼ばれていました。

 

2013年10月28日、東京都稲城市の
よみうりランド慶友病院にて、老衰のため死去。93歳。
戒名は「大徹院赤心哲山居士」。
墓所は東京都世田谷区野沢の龍雲寺。
春先に自宅で転倒して肋骨を骨折したことを
きっかけに持病の心臓病が悪化し、
急激に老衰の症状が進んでいたといいます。
死去が判明した10月30日、日本シリーズ第4戦・
巨人対楽天で監督・コーチ・選手全員が喪章をつけ、
試合前にVTRの上映と黙祷が行われました。

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