山東京伝のお墓(10月27日が命日)
2024/10/27
山東京伝のお墓(10月27日が命日)
山東 京伝(さんとう きょうでん、宝暦11年8月15日
(1761年9月13日) - 文化13年9月7日(1816年10月27日))は、
江戸時代後期の浮世絵師、戯作者。
浮世絵師としては北尾政演(きたおまさのぶ)と号し、
葎斎(せいさい)、北尾葎斎政演、北尾京伝、
山東政演とも号して寛政元年(1789年)まで活動しました。
作画期は安永7年ころから文化12年前後
(1778年-1815年)でした。
寛政の改革における出版統制により
手鎖の処罰を受けました。
現在の銀座1丁目に
喫煙用の小物販売店「京屋」を開き、
自分がデザインした紙製煙草入れが大流行しました。
寛政元年刊行の黄表紙『黒白水鏡』で
作者石部琴好とともに画工として筆禍を得て
次第に画壇から遠のきます。
弟子には山東鶏告(さんとうけいこう)・山東唐洲らがいますが、
後に曲亭馬琴の入門を断ったように
弟子は取らなくなります。
仲間と飲み食いをする際に当時は代表者1名が
総額を支払うことが一般的であったのに対し、
総額を出席者の頭数で均等に割って
勘定を済ませることから、そのやり方は
「京伝勘定」と呼ばれました。こんにち割り前勘定(割り勘)と
呼ばれる支払い精算方式の祖と呼ばれます。
山東京伝の友人でもあった曲亭馬琴は、
京伝が吝嗇(けち)であったり、
金を惜しんだからではなく、仲間との間の金銭による
「もつれ」をきらったこと、
淡交を望んだためだと書き記しています。
文化13年9月7日(1816年10月27日)、
胸痛の発作により死去。享年56。
東京都墨田区両国の回向院に「岩瀬醒墓」(京伝)・
「岩瀬百樹之墓」(京山)、「岩瀬氏之墓」(伝左衛門)があります。
法名は弁誉智海京伝信士。京伝が没した翌年、
弟の京山が浅草寺境内に「机塚」の碑を建立しています。
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