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輪島大士のお墓(10月8日が命日)

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輪島大士のお墓(10月8日が命日)

輪島大士のお墓(10月8日が命日)

2024/10/08

輪島大士のお墓(10月8日が命日)

 

輪島 大士(わじま ひろし、1948年(昭和23年)1月11日 - 
2018年(平成30年)10月8日)は、石川県七尾市出身で花籠部屋に所属した大相撲力士、
第54代横綱、全日本プロレス所属の元プロレスラー、元タレント。
本名は輪島 博(わじま ひろし)。血液型はA型。
大相撲時代は身長185cm、体重132kg。
ニックネームは蔵前の星、黄金の左、現役引退後はワジー。

 

大相撲を離れた輪島は、1986年4月に全日本プロレスに入門。
輪島はそれ以前までは力道山の試合をテレビで見たぐらいで、
プロレスについての知識はそれ以上はありませんでした。
だが、輪島の後援者となっていた会社経営者からプロレス入りを勧められ、
大相撲からプロレス入りした日大の後輩の
石川敬士の存在を思い出して彼に相談したことで入門が決まりました。
1986年4月7日、ジャイアント馬場と会談した輪島は後援者と
相談するために一旦入門の話を保留したが、
翌日の日刊スポーツの1面にこの話がすっぱ抜かれて
後に引けなくなって入門に至ったという話があります。

多額の借金問題を抱えて廃業した輪島が
プロレス界入りに至ったことは恰好のワイドショーネタであり、
世間の野次馬的な注目を多く集めますが、
相撲の現役を離れて5年、38歳でのプロレス転向は
「無謀」という声も多く聞かれた。輪島が入門したことで、
日本相撲協会は全日本に対して1986年11月以降における
両国国技館の使用禁止を通告し、全日本は2004年まで18年間
両国国技館における興行ができない状態に陥ります。
これにより、プロレスのビッグマッチには
日本武道館が馴染みの舞台となります。

 

1988年12月27日に引退。事前の宣伝や引退試合等も一切無く、
ひっそりと身を引きます。膝や首の怪我等による体力の限界や、
大相撲時代から仲の良かったプロレスラー石川敬士の
退団が一因だともされています。その後、SWSへと参戦した
石川とともにマットに上がることはありませんでした。
プロレス引退後、プロレス界から距離を置いていた一方で、
プロレス界のことを悪く言うことは皆無でした。

2018年10月8日、咽頭がん及び肺がんによる衰弱のため、
東京都内の自宅で死去。70歳没。
関係者の話によると自宅のソファーの上で死亡したそうです。


同年10月15日、葬儀・告別式が、東京都・青山葬儀所で執り行われました。
この日の喪主挨拶で、夫人が
「最後は自宅のソファーでテレビを見ながら、
静かに眠るように座ったまま、亡くなっていました。
ご迷惑をおかけすることも多かった人生ですが、
最後は一人で誰にも迷惑をかけず、
静かにとてもいい顔で眠っておりました」
とその安らかな様子を語りました。

2022年になり輪島の墓所が七尾市の常福寺に
建立されていたことが明らかにされています。

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