緒形拳のお墓(10月5日が命日)
2024/10/05
緒形拳のお墓(10月5日が命日)
緒形 拳(おがた けん、1937年〈昭和12年〉7月20日 -
2008年〈平成20年〉10月5日[1])は、日本の俳優。
旧芸名および本名は緒形 明伸(おがた あきのぶ)。
血液型はB型。趣味は絵手紙と水墨画。
東京府東京市牛込区(現・東京都新宿区)出身、
千葉県千葉市育ち。長男は緒形幹太、次男は緒形直人で共に俳優。
義理の娘(直人の妻)に女優の仙道敦子、孫に緒形敦(直人の息子)がいる。
高校時代に新国劇の舞台に惚れ込むと仲間内で
戯曲『王将』(新国劇の当時の人気演目の1つ)を行い、
緒形は大阪の名棋士・坂田三吉を演じました。
新国劇で同役を演じた辰巳柳太郎への
弟子入りを目指したところ、三男と『王将』を書いた
劇作家・北条秀司の娘がたまたま同級生だったことが分かり、
そのつてで新国劇に入団することができたそうです。
1978年に公開された映画『鬼畜』に主演し、
数々の男優賞を受賞します。その後も1979年に
『復讐するは我にあり』、1983年に『楢山節考』に主演。
合間に出演した1981年の映画『魔界転生』では、
宮本武蔵に扮して柳生十兵衛(千葉真一)と激闘を演じ、
新国劇で培った殺陣を披露しています。
1999年、池端俊策監督の『あつもの』で
「フランス・ベノデ映画祭グランプリ」を受けます。
2000年、紫綬褒章を受章。
同年に山﨑努も受章しています。
2008年10月4日、自宅で体調が急変。
栃木県下都賀郡壬生町の獨協医科大学病院に運ばれて
肝臓破裂の緊急手術を受けますが、
翌10月5日の午後11時53分、肝癌により死去。
緒形の最期は家族と長年の友人であった津川雅彦が看取った。
緒形は津川に「お前、身体大事にしろよ!
良い映画沢山創ってくれよな!治ったら、鰻食いに行こうな!白焼きをな!」
と冗談を交えつつ医者に危篤を宣言されている
患者とは思えないような明るい口調で語ったそうです。
しかしそれが緒形が残した最期の言葉となり、
4時間後に帰らぬ人となりました。
津川はブログで「最期は歌舞伎役者のように
虚空を睨み付けるように静かに静かに息を引き取った!
苦しむ様子も無く名優らしくカッコいい!立派な最後だった!
俺もあんな死に方したいと本気で思えた!」と綴っています。
71歳没。葬儀・告別式は10月7日に新宿区の
大日本獅子吼会本堂で営まれました。
戒名は天照院普遍日拳居士。
息子の緒形幹太・直人兄弟が葬儀の後プレスインタビューに応え、
緒形は2000年頃から慢性肝炎を患い、
肝硬変を経て2003年から2004年頃に肝癌に至り、
適切な内科的手術を受け投薬治療や食事療法を受けながら、
病を隠して俳優活動を続けていたこと、
また2007年暮れには腰椎圧迫骨折の
大怪我を負っていたことなどが明かされました。
死後の10月31日、日本政府は長年の演劇界への貢献を多とし、
緒形に旭日小綬章を授与することを閣議決定しました。
千葉県茂原市の獅子吼霊園に眠ります。
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