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大滝秀治のお墓(10月2日が命日)

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大滝秀治のお墓(10月2日が命日)

大滝秀治のお墓(10月2日が命日)

2024/10/02

大滝秀治のお墓(10月2日が命日)

 

大滝 秀治(おおたき ひでじ、1925年〈大正14年〉6月6日 - 
2012年〈平成24年〉10月2日)は、日本の俳優、ナレーター、実業家。
位階は正四位。勲等は旭日重光章。文化功労者。
株式会社劇団民藝代表取締役などを歴任しました。

映画では1952年(昭和27年)に公開した新藤兼人監督の
『原爆の子』など民藝がユニット出演した作品などに
端役で出演していましたが、1955年(昭和30年)の
『ここに泉あり』でまともな役を演じました。
当時、民藝が日活と提携契約していた関係で
1960年代は日活のアクション映画などに、
主に悪役で出演しました。

 

1970年代以降も巨悪や黒幕役を数多く演じ、
山本薩夫監督の社会派映画『華麗なる一族』『金環蝕』『不毛地帯』で
大物政治家を演じる一方、今井正監督の『あにいもうと』では、
主人公の父親役でブルーリボン賞の助演男優賞(『不毛地帯』の演技と共に受賞)、
キネマ旬報賞の助演男優賞、第1回報知映画賞の助演男優賞を受賞します。
映画では市川崑や伊丹十三、篠田正浩作品に常連として出演。
特に市川作品では「金田一耕助シリーズ」全5作に皆勤出演した
(2006年のリメイク版『犬神家の一族』にも出演している)、
伊丹作品ではコミカルな役に起用されていました。
1970年代半ばの大作ブームでは引っ張りだことなり、
1977年から1979年の3年間で全国公開された
大作の8割近くに出演しました。

 

2011年(平成23年)暮れから体調不良になり、
その後病院の診断を受けて2012年(平成24年)2月27日に
右肺にがんが見つかります。
同年6月の舞台『うしろ姿のしぐれてゆくか』への
出演を取りやめたため、2011年6月から7月にかけて
行われた舞台『帰還』が、最後の舞台出演となりました。

主治医から手術や放射線治療を勧めらますが、
本人は「体へのダメージが大きく、役者復帰に支障が出るから」と拒否し、
その後は抗がん剤治療に専念。入院中は
本を読み漁るようになり、次女の勧めで
最後に読んだ漫画家・赤塚不二夫のエッセイ本
『これでいいのだ』を気に入ったそうです。
2012年6月末に間質性肺炎を併発したが
病状が安定した9月7日に退院し、自宅療養となりました。

しかし10月2日に容態が急変し、
同日午後3時17分、肺扁平上皮がんのため
東京都内の自宅で死去。87歳没。
大滝の棺には、生前愛用していたセーターや鉛筆、
同期女優の奈良岡朋子の手編みのマフラー、
代表作『審判』・『巨匠』及び生前いつか演じたいと思い続けていた
『なよたけ』の台本、上記の『これでいいのだ』の本が納められました。


同年10月22日港区の青山葬儀所でお別れの会が行われました。
この会には倉本聰、八千草薫など仕事関係者や
一般参列者を含む約980人が駆けつけました。
奈良岡朋子が葬儀委員長を務め、
後輩女優の樫山文枝が司会を担当し、日色ともゑが弔電を紹介しました。
祭壇は故人の遺志で「シンプル」をテーマに、
劇団民藝演出部が製作しました。
戒名は「瑞藝院秀聲居士(ずいげいいんしゅうせいこじ)」。
当時の天皇(現:上皇明仁)から、一般の香典にあたる祭粢料が贈られました。

東京都練馬区の上石神井霊園に眠ります。

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