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小泉八雲のお墓(9月26日が命日)

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小泉八雲のお墓(9月26日が命日)

小泉八雲のお墓(9月26日が命日)

2024/09/26

小泉八雲のお墓(9月26日が命日)

 

小泉 八雲(こいずみ やくも、1850年6月27日 -
 1904年(明治37年)9月26日)は、アイルランド系・ギリシャ生まれの
新聞記者(探訪記者)、紀行文作家、随筆家、小説家、日本研究家、英文学者。

1896年(明治29年)に日本国籍を取得して「小泉八雲」と名乗ります。
「八雲」は、一時期島根県の松江市に在住していたことから、そこの旧国名(令制国)である
出雲国にかかる枕詞の「八雲立つ」に因むとされます。
 日本の怪談話を英語でまとめた『怪談』を出版しました。


母がキシラ島生まれのギリシャ人で、アラブ人の血も混じっていたらしく、
のちに八雲自身、家族や友人に向かって
「自分には半分東洋人の血が流れているから、日本の文化、芸術、伝統、
風俗習慣などに接してもこれを肌で感じ取ることができる」と自慢していました。
父母を通じて、地球上の東西と南北の血が自分の中に流れているという自覚が、
八雲の生涯と文学を特徴づけています。
異国情緒を求める時代背景もあったが、八雲は生涯を通じてアイルランドから
フランス、アメリカ合衆国、西インド諸島、日本と放浪を続けます。
かつ、いかなる土地にあっても人間は根底において同一であることを疑いませんでした。
シンシナティでは州法を犯してまで混血黒人と結婚しようとし、
のちに小泉セツと家庭を持つに際しても、何ら抵抗を感じませんでした。

松江・熊本・神戸・東京と居を移しながら日本の英語教育の最先端で尽力し、
欧米に日本文化を紹介する著書を数多く遺しました。
日本では『雨月物語』『今昔物語』などに題材を採った、
古典の再話文学でも読まれています。


長男・一雄にはアメリカで教育を受けさせたいと考え自ら熱心に英語を教え、
当時、小石川区茗荷谷に住むレオニー・ギルモア
(夫は野口米次郎、子にイサム・ノグチ)に英語の個人教授を受けさせます。
1904年(明治37年)に狭心症で死去。満54歳没。
松江時代に居住した住宅は、1940年(昭和15年)に国の史跡に指定されています。

東京・雑司ヶ谷霊園に眠ります。

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