宮沢賢治のお墓(9月21日が命日)
2024/09/21
宮沢賢治のお墓(9月21日が命日)
宮沢 賢治(みやざわ けんじ、正字: 宮澤 賢治、1896年〈明治29年〉8月27日 -
1933年〈昭和8年〉9月21日)は、日本の詩人、童話作家。
仏教(法華経)信仰と農民生活に根ざした創作を行いました。
作品中に登場する架空の理想郷に、郷里の岩手県をモチーフとして
イーハトーヴ(Ihatov、イーハトヴやイーハトーヴォ (Ihatovo) 等とも)と名付けたことで知られます。
彼の作品は生前ほとんど一般には知られず無名に近く、
没後、草野心平らの尽力により作品群が広く知られ、
世評が急速に高まり国民的作家となっていき、
今でも日本には広く愛好者が存在します。
1933年(昭和8年)9月17日から19日まで鳥谷ヶ崎神社のお祭りが行われ、
賢治は門口に椅子を出して座り、神輿や山車を見物しました。
翌日の朝、昨夜賢治が門口にいるのを見た農民が相談に来ます。
話をした後、賢治は呼吸が苦しくなり、往診した医者から急性肺炎の兆しと診断されます。
その夜、別の農民が稲作や肥料の相談にやって来ます。
賢治は着物を着換え1時間ほど丁寧に相談に乗った後、
すぐ二階の病室に運ばれました。
心配した清六が付き添って一緒に寝たが、賢治は
「この原稿はみなおまえにやるから、もし小さな本屋からでも
出したいところがあったら出してもいい」と話しました。
9月21日、午前11時半、突然「南無妙法蓮華経」と唱題する声が聞こえたので
家族が急いで二階の病室に行ってみると、賢治は喀血して真っ青な顔になっていました。
政次郎が「何か言っておくことはないか」と尋ねると、
賢治は「国訳の妙法蓮華経を一千部つくってください」
「私の一生の仕事はこのお経をあなたの御手許に届け、そしてあなたが仏さまの心に
触れてあなたが一番よい正しい道に入られますようにということを書いておいてください」と語ります。
政次郎が「おまえもなかなかえらい」と答えて階下に降りると、
賢治は清六に「おれもとうとうおとうさんにほめられたものな」と言いました。
病室に残ったイチが賢治に水を飲ませ、体を拭くと「ああいい気持ちだ」と繰り返し、
午後1時半、呼吸が変わり潮が引くように息を引き取りました。
没時年齢は満37歳。葬儀は宮沢家の菩提寺だった安浄寺で営まれました。
18年後の1951年(昭和26年)、宮沢家は日蓮宗に改宗し、
墓所は花巻市の身照寺に移されます。また国柱会から
法名「真金院三不日賢善男子」が贈られました。
東京都江戸川区の国柱会には賢治の遺骨の一部が納められています。
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