正岡子規のお墓(9月19日が命日)
2024/09/19
正岡子規のお墓(9月19日が命日)
正岡 子規(まさおか しき、1867年10月14日〈旧暦慶応3年9月17日〉-
1902年〈明治35年〉9月19日)は、日本の俳人、歌人、国語学研究家。
子規は筆名で、本名は正岡 常規(まさおか つねのり)。
幼名を處之助(ところのすけ)といい、
後に升(のぼる)と改めます。
俳句、短歌、新体詩、小説、評論、随筆など
多方面にわたり創作活動を行い、
日本の近代文学に多大な影響を及ぼしました。
明治を代表する文学者の一人。
短歌(和歌)においても、「歌よみに与ふる書」を
新聞『日本』に連載。『古今集』を否定して
『万葉集』を高く評価して、江戸時代までの
形式にとらわれた和歌を非難しつつ、
根岸短歌会を主催して短歌の革新に努めました。
根岸短歌会は、のちに伊藤左千夫、長塚節、岡麓らにより
短歌結社『アララギ』へと発展していきます。
やがて病に臥しつつ『病牀六尺』を書きました。
これは少しの感傷も暗い影もなく、
死に臨んだ自身の肉体と精神を客観視し
写生した優れた人生記録として、
現在まで読まれています。
同時期に病床で書かれた日記『仰臥漫録』の原本は、
兵庫県芦屋市の虚子記念文学館に収蔵されています。
1902年(明治35年)9月19日午前1時頃に息を引き取りました。
21日の葬儀には150名以上が参列し、生前に弟子へ遺言していた
「静かな寺に葬ってほしい」という願いに合わせて、
東京都北区田端の大龍寺に埋葬され、
現在も墓所があります。戒名は子規居士。
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