若山牧水のお墓(9月17日が命日)
2024/09/17
若山牧水のお墓(9月17日が命日)
若山 牧水(わかやま ぼくすい、1885年(明治18年)8月24日 -
1928年(昭和3年)9月17日)は、戦前日本の歌人。本名・繁(しげる)。
宮崎県東臼杵郡坪谷村(現・日向市)の医師・若山立蔵の長男として生まれます。
1899年(明治32年)宮崎県立延岡中学校に入学。短歌と俳句を始めました。
18歳のとき、号を牧水とします。由来は「当時最も愛していたものの名二つを
つなぎ合わせたものである。牧はまき、すなわち母の名である。
水はこの(生家の周りにある)渓や雨やから来たものであった」
1927年(昭和2年)妻と共に朝鮮揮毫旅行に出発し、約2ヶ月間にわたって
珍島や金剛山などを巡るが、体調を崩し帰国します。
翌1928年9月に日光浴による足の裏の火傷と下痢・発熱を起こして全身衰弱し、
長年の大量飲酒による急性胃腸炎と肝硬変を併発して
9月17日に沼津市の自宅で死去する。享年43。
静岡県沼津市の千本山乗運寺に埋葬されます。戒名は古松院仙誉牧水居士。
牧水の死後、詩歌雑誌「創作」は歌人であった妻・喜志子により受け継がれました。
長男・旅人も歌人となり、沼津市若山牧水記念館の第2代館長をつとめました。
短歌の弟子としては、長谷川銀作・大橋松平・黒田忠次郎・
大悟法利雄・山下秀之助などがいます。
大変な酒豪(またはアルコール依存症)としても知られ、
1日に1升の酒を飲んでいたといいます。
死因は肝硬変である。盛夏に死亡したにもかかわらず、
死後しばらく経っても遺体から死臭がせず
「生きたままアルコール漬けになったのでは」と
医師を驚かせた逸話があるほどです。
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