乃木希典のお墓(9月13日が命日)
2024/09/12
乃木希典のお墓(9月13日が命日)
乃木 希典(のぎ まれすけ、1849年12月25日〈嘉永2年11月11日〉 -
1912年〈大正元年〉9月13日)は、日本の陸軍軍人。
日露戦争における旅順攻囲戦の指揮や、明治天皇を慕い、
あとを追って殉死したことでも知られます。
最終階級は陸軍大将。栄典は贈正二位勲一等功一級伯爵。
明治天皇より第10代学習院長に任じられ、迪宮裕仁親王(昭和天皇)の教育係も務めました。
人々より「乃木大将」や「乃木将軍」と呼ばれて深く敬愛され、
「乃木神社」や「乃木坂」にも名前を残しています。
乃木は大正元年(1912年)9月10日、裕仁親王、淳宮雍仁親王(後の秩父宮雍仁親王)
および光宮宣仁親王(後の高松宮宣仁親王)に対し、
山鹿素行の『中朝事実』と三宅観瀾の『中興鑑言』を渡し、熟読するよう述べました。
当時11歳の裕仁親王は乃木の様子がいつもとは異なることに気付き、
「院長(学習院)閣下はどこかへ行かれるのですか」と聞いたといいます。
(乃木は自刃の時まで学習院長であったため、自決後は院長が一時空席となっている。)
1912年(大正元年)9月13日、明治天皇の大喪の礼が行われた日の20時頃、
乃木は妻・静子とともに自刃して亡くなりました。
乃木夫妻の葬儀は、大喪の礼から5日後の大正元年(1912年)9月18日に行われます。
葬儀の当日、乃木夫妻の自宅から青山葬儀場までの沿道は
推定20万人とも言われる膨大な数の一般国民で埋め尽くされました。
その様子は「権威の命令なくして行われたる国民葬」「人民として空前の盛儀」と表現され、
また外国人も多数参列したことから「世界葬」とも表現されました。
乃木の死去を受け、読売新聞のコラム「銀座より」では、乃木神社建立、
乃木邸の保存、「新坂」の「乃木坂」への改称などを希望するとの意見が示されました。
その後、京都府、山口県、栃木県、東京府(現・東京都)、北海道など、
日本の各地に乃木を祀った乃木神社が建立されました。
また、朝鮮半島にも朝鮮乃木神社があります。
東京都・青山霊園に眠ります。
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