溝口健二のお墓(8月24日が命日)
2024/08/24
溝口健二のお墓(8月24日が命日)
溝口 健二(みぞぐち けんじ、1898年〈明治31年〉5月16日 -
1956年〈昭和31年〉8月24日)は、日本の映画監督です。
日本映画を代表する監督のひとりで、1920年代から1950年代にわたるキャリアの中で、
『祇園の姉妹』(1936年)、『残菊物語』(1939年)、『西鶴一代女』(1952年)、
『雨月物語』(1953年)、『山椒大夫』(1954年)など約90本の作品を監督しました。
ワンシーン・ワンショットや移動撮影を用いた映像表現と完全主義的な演出で、
社会や男性の犠牲となる女性の姿をリアルに描いたことで知られています。
小津安二郎や黒澤明とともに国際的にも高い評価を受けており、
1950年代にはヴェネツィア国際映画祭で作品が3年連続で受賞し、
フランスのヌーヴェルヴァーグの監督などにも影響を与えました。
1956年、溝口は最後の監督作となる『赤線地帯』を撮影しましたが、
その前後から好きな酒が美味しくないと言い出したり、歯茎から出血したりするなど、
体調に異変が見られました。この作品の完成後、
溝口は次回作として『大阪物語』の製作準備を始めますが、
この時も夕方になると微熱が出たり、足が紫色に変色したりするなどしたため、
5月に製作準備を中止して京都府立医科大学附属病院の特別病棟に入院します。
溝口は骨髄性白血病と診断されたが、病名は本人には知らされず、
永田などの大映首脳部のみに知らされました。溝口は毎日のように輸血をしますが]、
白血病は不治の病だったため、そのまま回復に向かうことはなく、
8月24日午前1時55分に58歳で死去。
亡くなる前日には
「もう新涼だ。早く撮影所の諸君と楽しく仕事がしたい」
と絶筆を残していました。溝口作品で美術監督を務めた水谷浩は、
溝口の死去当日にデスマスクを制作したそうです。
東京都大田区の本行寺と京都府左京区の満願寺に分骨されています。
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