園井恵子のお墓(8月21日が命日)
2024/08/21
園井恵子のお墓(8月21日が命日)
園井 恵子(そのい けいこ、1913年〈大正2年〉8月6日 -
1945年〈昭和20年〉8月21日)は、日本の女優。
岩手県出身、1930年に宝塚少女歌劇(宝塚歌劇団)入団。
高い演技力をもつ名バイプレーヤーとして知られます。
1942年に宝塚を退団、新劇の劇団「苦楽座」に籍を移し、
翌年出演した映画『無法松の一生』における吉岡夫人役で名声を博します。
1945年8月6日、所属していた移動劇団「桜隊」が当時活動の拠点としていた
広島市で原子爆弾投下に遭い、
同月21日に原爆症(放射線障害)のため32歳で死去しました。
本名:袴田 トミ(はかまだ トミ)。
園井が神戸から戻った翌日の8月6日午前8時15分、
アメリカ軍占領下のテニアン島基地より飛来したB-29爆撃機「エノラ・ゲイ」が
広島上空で原子爆弾を投下。そのとき桜隊の面々は朝食を終えて各自の部屋に戻っており、
園井は中井家からの持参品を皆で食べようと、
盆を手に廊下を歩いていました。
爆発の衝撃により園井は廊下から庭に放り出されて気を失ったが、
すぐに意識を取り戻す。下敷きになっていた壁から這い出すと、
近くに高山象三(高山徳右衛門の息子)も倒れていました。
高山は足先に軽傷、園井は全くの無傷であり、ふたりは約1km離れた比治山へ避難します。
ほかに丸山定夫はひとり比治山に向かったが、途中で倒れてトラックに拾われ、
傷病者の臨時収容所に運び込まれます。
また、仲みどりも自力で事務所から脱出したが、すぐに体調が悪化し、
京橋川の水中で難儀していたところを船舶部隊に救助され、
のち東京に帰され東京帝国大学付属病院に入院しました。
ほかの隊員5名はこの時点で行方不明となり、後日、崩壊し全焼した事務所跡から
白骨となって発見されます。
なお、爆心地は事務所から西方約750メートルの位置でした。
20日には園井は床につき動くことができなくなります。同日、高山象三が死去。
翌21日、内海明子が氷で冷やしたガーゼを園井の顔に当てた際、
「あー、気持ちいいわ」と呟いたのが最後の言葉となりました。
同日夕刻、内海重典が宝塚歌劇団からの退職金を枕元に届けます。
園井はそれを眼前にかざしたがすぐに意識を失い、
中井夫妻、内海夫妻、象三の様子を見に来ていた高山夫妻、
桜隊演出家の八田元夫が見守る中で息を引き取ります。満32歳没。
16日には厳島で丸山定夫が、24日は東京で仲みどりが死去し、
桜隊で被爆した9名全員が1カ月以内に命を落とす結果となります。
園井の遺体は翌日荼毘に付され、9月1日に合同の告別式が行われたのち、
岩手県盛岡市内の恩流寺に葬られました。
1952年には東京都目黒区の五百羅漢寺に桜隊の原爆殉難碑が建立され、
1959年には広島市の平和大通りにも同様のものが建立されました。
五百羅漢寺の碑には隊員の遺骨も少量ずつ納められています。
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