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甘粕正彦のお墓(8月20日が命日)

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甘粕正彦のお墓(8月20日が命日)

甘粕正彦のお墓(8月20日が命日)

2024/08/20

甘粕正彦のお墓(8月20日が命日)

 

甘粕 正彦(あまかす まさひこ、1891年〈明治24年〉1月26日 -
 1945年〈昭和20年〉8月20日)は、日本の陸軍軍人。
陸軍憲兵大尉時代にアナキストの大杉栄らを殺害した甘粕事件で知られます。
事件後、短期の服役を経て日本を離れて満洲に渡って関東軍の特務工作を行い、
満洲国建設に一役買う。満洲映画協会理事長を務め、
終戦の最中に現地で服毒自殺しました。

 

1945年(昭和20年)8月8日ソ連は日ソ不可侵条約を破棄し日本に宣戦布告。
翌9日満洲に侵攻。ソ連軍が新京に迫りくる中、
ポツダム宣言受諾が発表された翌日の8月16日、
甘粕は満映の社員を全員集めて「必ず死ぬ」と言った上で、
中国人社員に「(満映は)中国人社員が中心になるべき」と述べ、
最後に「皆さんのお世話になったことを深く厚く御礼申し上げます」と挨拶しました。
そのあとに身の回り品を形見として一人一人に配り、
社内の預金を退職金として全額引き出します。
当時、満映にいて日本帰国後も有名な女優となった木暮実千代の証言によれば、
女は一番いい着物を着てこい、できれば白い着物を着てこい、
男は殺傷道具を持って集まれという話がきたが、
帰って来た夫からフィルムに火を付けて死のうという話になっているから行くなと
言われたとの証言があるため、当初は集団自決を図っていたものの、
反対者が多く集団自決は取りやめになりました。

甘粕の部下は自殺しないよう銃器や刃物などを取り上げ見張っていたが、
20日早朝、監視役の大谷・長谷川・赤川孝一(作家・赤川次郎の父)の目を盗み、
隠し持っていた青酸カリで服毒自殺しました
(この現場には映画監督内田吐夢や漫談家の坂野比呂志も居合わせた。
また、一部の者には自決用に青酸カリを配ったようである)。
満映のスタッフは皆で甘粕を看取り、葬儀も執り行われました
(新京で行われた葬儀には甘粕を慕う日満の友人三千人が参加し、
葬列は1キロを越えたという)。


甘粕の遺体は一時新京で埋葬されたが、
翌1946年(昭和21年)4月に荼毘に付されました。
遺骨は家族が日本に持ち帰り、東京都府中市・多磨霊園に納骨されました。
 

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