古関 裕而のお墓(8月18日が命日)
2024/08/18
古関 裕而のお墓(8月18日が命日)
古関 裕而(こせき ゆうじ、旧字体:古關 裕而、1909年(明治42年)8月11日 -
1989年(平成元年)8月18日)は、日本の作曲家。
本名は古関 勇治(旧字体:古關 勇󠄁治、読み同じ)。
妻は声楽家で詩人の古関金子。
気品ある格式高い曲風で知られ、現在でも数多くの作品が愛されています。
生涯で5千に及ぶ曲を作曲したとされ、
その曲風は古関メロディーとして親しまれました。
フジテレビ系の音楽番組『オールスター家族対抗歌合戦』の審査員を、
1972年10月の放送開始から初代司会者の萩本欽一とともに
1984年6月24日に降板するまで務めました。
1977年、「栄冠は君に輝く」制定30周年を記念して夏の甲子園の開会式に招待されます。
大会旗掲揚に当たり大会歌の大合唱が起こり、その光景に感激したそうです。
また、この大会では古関の母校である福島商業高校が甲子園初勝利を挙げ、
自らが作曲した校歌を聴くことが出来ました。
1979年には最初の福島市名誉市民に選ばれ、同地には1988年11月12日に
「福島市古関裕而記念館」も建てられています。
しかし古関はこの頃すでに入院生活を送っていたため、
足を運ぶことは出来ませんでした。
傘寿の誕生日を迎えて1週間足らずの1989年(平成元年)8月18日午後9時30分、
古関は脳梗塞のため聖マリアンナ医科大学病院で没しました(享年80)。
墓所は妻・金子(1980年没、享年68)と同じ神奈川県川崎市の春秋苑。
古関家の墓がある福島市信夫山にも分骨されました。
同年の秋ごろ、古関への国民栄誉賞の授与が
遺族に打診されるも古関の遺族はこれを辞退します。
その理由について、古関の長男の古関正裕は
「元気に活動している時ならともかく、
亡くなったあとに授与することに意味があるのか」と
没後追贈に疑問を持ったためとしています。
このタイミングでの国民栄誉賞受賞をしていれば、
作曲家としては1978年(昭和53年)の古賀政男に次いで
史上二人目となる予定でした。
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