津田梅子のお墓(8月16日が命日)
2024/08/16
津田梅子のお墓(8月16日が命日)
津田 梅子(つだ うめこ、旧暦 元治元年12月3日- 1929年〈昭和4年〉8月16日)は、
日本の女子教育家。日本初の女子留学生の一人で、
女子英学塾(現:津田塾大学)の創設者であり、
日本における女子教育の先駆者として評価されます。
また、欧米の学術雑誌に論文が掲載された最初の日本人女性。聖公会の信徒。
初名はうめ(「むめ」と書いた)。戸籍上は梅でしたが、1902年(明治35年)に
父である津田仙の戸籍から分籍した際に梅子に改めました。
1917年(大正6年)の春ごろ、52歳の梅子は体調を崩して入院します。
2か月後に退院したものの、その後も入院と退院を繰り返します。
3度の入院を経て、これ以上塾長を務めることが難しいと自覚した梅子は、
1919年(大正8年)の1月初めに塾の社員会に対して辞意を示した手紙を送ります。
同年2月、辻マツが塾長代理に就任し、梅子は塾長としての実質的な活動を終えました。
1919年(大正8年)の10月ごろ、親戚一同の計画で建てられた北品川御殿山
(現:東京都品川区御殿山の付近)の住居が完成します。
4度目の入院をしていた梅子は退院後ここに移り住み、以後10年間この家で過ごします。
1928年(昭和3年)11月12日、昭和天皇即位の大典に際して勲五等に叙され、瑞宝章を授けらます。
1929年(昭和4年)1月、甥の津田眞(梅子の弟である津田純の四男)を養嗣子として迎えました。
同年7月には、鎌倉の別荘に移り住みます。
1929年(昭和4年)8月16日、脳出血のため死去。満64歳没。
梅子の葬儀は、東京市麹町区五番町の女子英学塾講堂での校葬(キリスト教式)として行われ、
会葬者は約1千人に上り、昭和天皇と皇后から祭祀金一封が下賜されました。
墓所は、東京都小平市に在る津田塾大学の構内にあります。
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