ユーハイムのお墓(8月14日が命日)
2024/08/14
ユーハイムのお墓(8月14日が命日)
カール・ヨーゼフ・ヴィルヘルム・ユーハイム(独: Karl Joseph Wilhelm Juchheim、
1886年12月25日 - 1945年8月14日)は、戦前の日本で活躍した
ドイツ出身の菓子職人、実業家。
第一次世界大戦中に捕虜として連行された日本に留まり、
兵庫県神戸市に株式会社ユーハイムの前身である喫茶店「JUCHHEIM'S」を開店しました。
日本で初めてバウムクーヘンを作り、マロングラッセを販売した人物として知られます。
1937年夏、妻のエリーゼはユーハイムの振る舞いに尋常でないものを感じ、
ユーハイムを精神病院に入院させることにします。ユーハイムには病識がなく、
病院からの脱走を繰り返すなど問題行動を繰り返したため、
ドイツに帰国させて治療を受けさせることにしました。
数年後ユーハイムは病から回復し日本へ戻ったものの明るかった性格は一変し、
以前のように働くこともできなくなっていました。
さらに1941年に開戦した太平洋戦争の戦況が悪化するにつれ、
物資の不足により菓子を作ろうにも作ることができなくなります。
1944年には店舗の賃貸契約を打ち切り、工場だけを稼働させることにしました
(工場ではドイツ海軍の兵士に支給するパンが焼かれた)
1945年6月、神戸大空襲により工場は機能しなくなり、
ユーハイムは家族とともに六甲山にある六甲山ホテルで静養することになりました。
8月14日午後6時、ユーハイムはホテルの部屋で椅子に座り、
エリーゼと語り合いながらこの世を去った。
医師が書いた死亡診断書によると死因は中風による病死でした。
ユーハイムの死に顔は、エリーゼが「死ぬことが少しも恐ろしくなくなった」と
思うほど安らかであったといいます。
体格の大きなユーハイムの遺体を納める棺が見つからず、
遺体は船の帆布で作った袋に入れられ、荼毘に付されます。
死の直前、ユーハイムは自分は間もなく死ぬが戦争はすぐに終わり平和が来ると語り、
さらに1942年にドイツ軍に徴兵された息子カールフランツは死んだと断言します。
死の翌日に玉音放送においてポツダム宣言の受諾が表明され、
太平洋戦争は終結。さらに1947年になり、
カールフランツが1945年5月6日にウィーンで戦死していたことが判明しました。
ユーハイム夫妻の墓は兵庫県芦屋市の芦屋市霊園にあります。
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