田沼意次のお墓(7月27日が命日)
2024/07/27
田沼意次のお墓(7月27日が命日)
田沼 意次(たぬま おきつぐ)は、江戸時代中期の旗本、大名、江戸幕府老中。
遠江相良藩の初代藩主(相良藩田沼家初代)。
第9代将軍徳川家重と第10代家治の治世下で側用人と老中を兼任して
幕政を主導し、この期間の通称である「田沼時代」に名前を残します。
天明6年(1786年)8月25日、将軍家治が死去しました。
死の直前から「家治の勘気を被った」としてその周辺から
遠ざけられていた意次は、将軍の死が秘せられていた間
(高貴な人の死は一定期間秘せられるのが通例)に失脚しますが、
この動きには反田沼派や一橋家(徳川治済)の策謀があったともされます。
意次は8月27日に老中を辞任させられ、雁間詰に降格しました。
閏10月5日には家治時代の加増分の2万石を没収され、
さらに大坂にある蔵屋敷の財産の没収と江戸屋敷の明け渡しも命じられます。
その後、意次は蟄居を命じられ、2度目の減封を受けます。
相良城は打ち壊され、城内に備蓄されていた8万両のうちの1万3千両と
塩・味噌を備蓄用との名目で没収されました。長男の意知はすでに暗殺され、
他の3人の子供は全て養子に出されていたため、
孫の龍助が陸奥下村1万石に減転封のうえで、
辛うじて大名としての家督を継ぐことを許されました。
同じく軽輩から側用人として権力をのぼりつめた柳沢吉保や間部詮房が、
辞任のみで処罰はなく、家禄も維持し続けたことに比べると、
最も苛烈な末路となりました。
その2年後にあたる天明8年7月24日(1788年8月25日)、
意次は江戸で死去しました。享年70。
東京都豊島区の 勝林寺に眠ります。
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