平尾昌晃のお墓(7月21日が命日)
2024/07/21
平尾昌晃のお墓(7月21日が命日)
平尾 昌晃(ひらお まさあき、1937年〈昭和12年〉12月24日 -
2017年〈平成29年〉7月21日)は、日本の作曲家、作詞家、歌手。
社団法人日本作曲家協会・常務理事[2]、
社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)理事などを歴任しました。
2014年末には原発性肺高血圧症に起因する肺炎で危篤状態となりましたが、
この時は奇跡的に持ち直しています。
2015年に肺がんであることが判明。体力面を考慮して手術を回避。
以降は呼吸補助器を携行しながら、公の場にも積極的に顔を出していました。
その後2017年5月「息苦しい」と訴え約1か月にわたって入院。
一時は回復したものの、同年7月13日に「蒸し暑く体調が悪い」と訴え、
病院で検査の結果「肺炎の疑い」との診断で入院。
だがこの時も食欲は旺盛で、病室でテレビを楽しんでいたという。
しかし7月21日深夜に容体が急変。病院にかけつけた夫人や数人の親族に看取られ、
同日23時40分、肺炎のため東京都内の病院で急逝しました。79歳(享年81)。
訃報後の7月23日、2016年に再々婚していたことが明らかとなりました。
平尾の葬儀は親族らによる密葬の形で7月30日に執り行われたため、
10月30日に東京・青山葬儀所にて渡邊美佐(渡辺プロダクショングループ代表)を葬儀委員長とし、
故人と縁のあった布施明、原辰徳、青木功らを発起人とし
『故 平尾昌晃 葬儀・告別式』と題して公のお別れの会が行われ、
原が弔辞を読み、布施と五木ひろしが「霧の摩周湖」と「よこはま・たそがれ」を
霊前に捧げるべく熱唱し、葬儀に参列した歌手らにより
小柳ルミ子の「瀬戸の花嫁」を合唱するなどして故人を偲びました。
没後に第59回日本レコード大賞特別功労賞が贈られました。
没後三回忌を迎えた2019年7月、
平尾の遺骨が谷中霊園に在る平尾家先祖代々の墓所に納められました。
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