森 鷗外のお墓(7月9日が命日)
2024/07/09
森 鷗外のお墓(7月9日が命日)
森 鷗外(もり おうがい、文久2年1月19日〈1862年2月17日〉-
大正11年〈1922年〉7月9日)は、日本の明治・大正期の小説家、評論家、
翻訳家、教育者、陸軍軍医(軍医総監=陸軍中将相当)、官僚(高等官一等)。
位階勲等は従二位・勲一等・功三級、医学博士、文学博士。
石見国津和野(現在の島根県鹿足郡津和野町)出身。
本名は森 林太郎(もり りんたろう)。
東京大学医学部卒業。
大学卒業後、陸軍軍医になり、陸軍省派遣留学生として
ドイツでも軍医として4年過ごしました。
帰国後、訳詩編「於母影」、小説「舞姫」、翻訳「即興詩人」を発表する一方、
同人たちと文芸雑誌『しがらみ草紙』を創刊して文筆活動に入りました。
その後、日清戦争出征や小倉転勤などにより創作活動から一時期遠ざかったものの、
『スバル』創刊後に「ヰタ・セクスアリス」「雁」などを発表。
乃木希典の殉死に影響されて「興津弥五右衛門の遺書」を発表後、
「阿部一族」「高瀬舟」など歴史小説や史伝「澁江抽斎」なども執筆しました。
陸軍を退いた後は宮内省に転じ、帝室博物館(現在の東京国立博物館・
奈良国立博物館・京都国立博物館等)総長や図書頭を死去まで務めたほか、
帝国美術院(現:日本芸術院)初代院長なども歴任しました。
東京都・三鷹市の禅林寺にお墓があります。
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