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阪東妻三郎のお墓(7月7日が命日)

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阪東妻三郎のお墓(7月7日が命日)

阪東妻三郎のお墓(7月7日が命日)

2024/07/07

阪東妻三郎のお墓(7月7日が命日)

 

阪東 妻三郎(ばんどう つまさぶろう、1901年(明治34年)12月14日 - 
1953年(昭和28年)7月7日)は、日本の歌舞伎俳優、映画俳優。
本名:田村 傳吉(たむら でんきち)、サイレント映画時代に
岡山 俊太郎(おかやま しゅんたろう)の名で監督作があります。
端正な顔立ちと高い演技力を兼ね備えた二枚目俳優として親しまれ、
「阪妻(バンツマ)」の愛称で呼ばれました。

1937年(昭和12年)5月、谷津の撮影所を整理して、裸一貫で日活に移ります。
独立時代と違って、商業主義的な大作に次々と出演し、芸歴は一段と大きくなりますが、
独立時代に深い人間探求を続けた成果が実り、名優としての評価が加わりました。
セリフをすべて暗記するまで仕事にかからなくなったのは、この頃からです。


役柄では『恋山彦』の伊奈小源太、『柳生月影抄』の柳生十兵衛、
『闇の影法師』の縣佐馬之助、『忠臣蔵』の大石内蔵助、『富士に立つ影』の佐藤菊太郎と、
オーソドックスな武士に扮して堂々の貫禄を示しました。
『将軍と参謀と兵』では師団長中将に扮し、支那大陸を背景に現代武人の典型を見せ、
名実ともに斯界の王座を占めました。

1949年(昭和24年)、現代劇好調を受け、大映社長永田雅一が
「古ぼけた時代劇のスタアはもうウチはいらん」と放言。
これに怒って「四大スタア」全員大映を脱退。阪妻は松竹京都に移籍。
時代劇の地図が塗り替えられることとなります。
1950年(昭和25年)、松竹下加茂撮影所が可燃性フィルムの自然爆発を起こし、
現像所や事務所、ステージを全焼。
ほぼ完成状態だった、山田五十鈴共演の『無頼漢』(衣笠貞之助監督)の
フィルムが焼失の憂き目に遭います。

 

時代劇では『大江戸五人男』、天才棋士坂田三吉を演じた『王将』、
コミカルな現代劇『破れ太鼓』などの作品に主演し、大河内伝次郎とともに
正真正銘の「スタア」であり続けました。

1953年(昭和28年)7月2日、『あばれ獅子』撮影中に持病の高血圧から体調を崩し、
同年7月7日、脳内出血により死去。51歳没。墓所は京都市二尊院にあります。
 

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