ノストラダムスのお墓(7月2日が命日)
2024/07/02
ノストラダムスのお墓(7月2日が命日)
ミシェル・ノストラダムス(Michel Nostradamus、1503年12月14日 - 1566年7月2日)は、
ルネサンス期フランスの医師、占星術師[注釈 1]、詩人。また、料理研究の著作も著しています。
日本では「ノストラダムスの大予言」の名で知られる詩集を著しました。
彼の予言は、現在に至るまで非常に多くの信奉者を生み出し、様々な論争を引き起こしています。
フランス語名は、ミシェル・ド・ノートルダム (Michel de Nostredame)で、
よく知られるノストラダムスの名は、姓をラテン語風に綴ったものです。
1566年6月には死期を悟ったのか、公証人を呼んで遺言書を作成します。
7月1日夜には秘書シャヴィニーに、
「夜明けに生きている私を見ることはないだろう」と語ったとされます。
ノストラダムスは予兆詩で、自身がベッドと長椅子との間で死ぬことを予言しており、
翌朝予言通りにベッドと長椅子の間で倒れているのを発見されたというエピソードが有名。
しかし、ノストラダムスの死と予兆詩を最初に結びつけたシャヴィニーは、
彼がベッドと長椅子の間で倒れていたなどとは述べておらず、死んだノストラダムスを
最初に確認したとされる長男セザールもそのようなことは語っていません。
そもそも、当該の予兆詩は出版当時の文献が残っておらず、
同年のイタリア語訳版との対照をもとに、現在知られている詩篇が
大幅に改竄されている可能性まで指摘されています。
ノストラダムスは遺言書において、サロン市のフランシスコ会修道院付属聖堂の中でも、
大扉と祭壇の間の壁面に葬られることを希望しました。
1582年に妻アンヌが亡くなった時にも、同じ場所に葬られたそうです。
当時、教会などの建物に埋葬されることは珍しくはありませんが、
他人から踏まれる床に葬られることで自身の謙譲さを示すという立場をとらなかったため、
壁が選ばれたと指摘されています。
当時、ノストラダムスは立った姿勢で葬られたという説もあるが、
ノストラダムスの遺言書などにはそのような指示はなく、
現在確認できる根拠からそれを裏付けることは出来ません。
フランス・サロン市のサン=ローラン参事会管理聖堂に遺骨があります。
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