日野富子のお墓(6月30日が命日)
2024/06/29
日野富子のお墓(6月30日が命日)
日野 富子(ひの とみこ、藤原富子(ふじわらのとみこ)、永享12年(1440年) -
明応5年5月20日(1496年6月30日))は、室町時代後期から戦国時代前期の女性。
室町幕府の第8代将軍・足利義政の正室(御台所)。
父は蔵人右少弁・日野重政、母は従三位・北小路苗子(北小路禅尼)。
兄弟に勝光(兄)、永俊(第11代将軍・足利義澄の義父)、資治(日野兼興の養子)、妹に良子(足利義視室)。
第9代将軍・足利義尚の母。従一位。
延徳2年(1490年)正月に義政が没すると、義材が10代将軍となりました。
しかし、その後見人となった義視は権力を持ち続ける富子と争い、
富子の邸宅である小川御所(小川殿)を破却し、領地を差し押さえました。
翌年の義視の死後、親政を開始した義材もまた富子と敵対しました。
明応2年(1493年)4月、義材が河内に出征している間に富子は細川政元と共に
クーデターを起こして義材を廃し、義政の甥で堀越公方・足利政知の子・義澄を
11代将軍に就けました(明応の政変)。
明応5年(1496年)5月20日、富子は京都で死去。享年57。
京都市上京区の華開院に富子のものと伝わる墓が存在します。(右側)
----------------------------------------------------------------------
ゆぎおす
東京都稲城市平尾1-45-2
サイレントパーク15-203
電話番号 : 090-3502-5199
FAX番号 : 050-3131-0416
稲城市でお墓参り代行サービス
----------------------------------------------------------------------