林芙美子のお墓(6月28日が命日)
2024/06/28
林芙美子のお墓(6月28日が命日)
林 芙美子(はやし ふみこ、1903年〈明治36年〉12月31日 - 1951年〈昭和26年〉6月28日)は、
日本の小説家。本名フミコ。身長140cm少々。
幼少期からの不遇の半生を綴った自伝的小説『放浪記』(1928年)で一躍人気作家となる。
詩情豊かな文体で、暗い現実をリアルに描写する作風。
一貫して庶民の生活を共感をこめて描き、流行作家として明治・大正・昭和を駆け抜けました。
作品に『風琴と魚の町』(1931年)、『晩菊』(1948年)、『浮雲』(1951年)などがあります。
1951年(昭和26年)、6月27日の夜分、『主婦の友』の連載記事のため料亭を2軒回り、
帰宅後に苦しみ、翌28日払暁心臓麻痺で急逝した。47歳没。死の数時間前まで取材をしていました。
最後まで作家として駆け抜けた人生でした。
なお、急逝の直前、6月24日には、NHKラジオの生放送「若い女性-会ってみたい人の頁」にゲスト出演し、女子大生数人に対し質疑応答をおこなっています。
この中で芙美子本人が「すでに晩年であると思い、むだな球は投げない」とも語っていました。
この放送時の一部が当時の番組広報用として映像保存されており、
NHKアーカイブスのサイト「NHK放送史-若い女性」で動画公開されています。
放送音声は録音保存され、直近では2016年1月26日にNHK第1ラジオ、
2023年12月3日にはNHK-FM『伊集院光の百年ラヂオ』の中で当時の録音が放送されました。
7月1日、自宅で告別式が執り行われた。近在の市民が大勢参列しました。
葬儀委員長の川端康成は、『故人は、文学的生命を保つため、
他に対して、時にはひどいこともしたのでありますが、しかし、後二、三時間もすれば、
故人は灰となってしまいます。死は一切の罪悪を消滅させますから、
どうか故人を許して貰いたいと思います』と弔辞の中で述べました。
芙美子が、自身を優先させるあまり、他の作家を排斥した故の「罪悪」だとされています。
葬儀には市井のおばちゃんたちが、数多押しかけ、大衆作家にとってはその方が名誉でした。
戒名は『純徳院芙蓉清美大姉』。東京・中野の萬昌院功運寺に埋葬されました。
生前、色紙などに好んで、『花の命は短くて苦しきことのみ多かりき』と書いていたそうです。
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