美空 ひばりのお墓(6月24日が命日)
2024/06/24
美空 ひばりのお墓(6月24日が命日)
美空 ひばり(みそら ひばり、1937年〈昭和12年〉5月29日 -
1989年〈平成元年〉6月24日)は、日本の歌手・女優・実業家。
神奈川県横浜市磯子区出身。
横浜市立滝頭小学校、精華学園女子中学校・
高等学校(現・東海大学付属市原望洋高等学校)卒業。
9歳でデビューし、その天賦の歌唱力で天才少女歌手と謳われて以後、
歌謡曲・映画・舞台などで目覚ましい活躍をし自他共に
歌謡界の女王と認める存在となりました。
昭和の歌謡界を代表する歌手であり、
没後の1989年7月2日に国民栄誉賞を受賞しました。
本名:加藤 和枝(かとう かずえ)。愛称は「お嬢(おじょう)」。
1988年(昭和63年)初頭はハワイで静養し、2月中に帰国しました。
同年4月に開催予定の東京ドーム復帰公演に向けて、下見や衣装、
当日の演出など準備段階は止められない処まで来ていましたが、
足腰の痛みは殆ど回復することはなく、肝機能数値も退院時の60%から低下して
20~30%の状態を行き来する状態でした。
体調が思わしくないまま公演本番の日を迎えます。
1988年4月11日、東京ドームのこけら落し となるコンサート
「不死鳥/美空ひばり in TOKYO DOME 翔ぶ!! 新しき空に向かって」を実施した
(実際にはそれ以前にミック・ジャガーやBOØWYがコンサートを同場所で既に行っていた)。
この復活コンサートの様子は、現在もテレビ番組でしばしば映像が使われ、
後にビデオ・DVD化もされている。なお「不死鳥」をイメージした金色の衣装など、
舞台衣装は森英恵がデザインしたものです。
この東京ドーム公演の会場客席には、森光子・雪村いづみ・島倉千代子・浅丘ルリ子・岸本加世子など、
ひばりと特に懇意であった女性芸能人達もひばりの復帰ステージを見届けるために駆けつけました。
それとは裏腹に、ひばりにとってはまさに命がけのものでした。
楽屋入りの際には楽屋前で私服のまま、ひばりはファン並びにマスコミへ向けて
不死鳥コンサートへの意気込みをコメント映像として残しましたが、
このコメント映像に応じられるかどうかもひばりの状態次第という状況でした。
徳光和夫も後年、BS朝日「わが心の美空ひばり」にて
「あのコメントを残してくださったことを心から感謝しています、
まさかあんなに状態が悪かったとは思いもしなかったですよ」と語っています。
ひばりはフィナーレの「人生一路」を歌い終えると、思い通りに歌えなかったのか
マイクをスタンドに戻す際に一瞬首を傾げていた
(彼女の日記にも、自身が満足のいく出来にできなかったことへの苦悩と
この調子であと何年もつのかという不安が書かれている)。
この頃のひばりは体調の悪化で前年の退院会見の頃と比べると痩せていましたが、
脚の激痛に耐えながら合計39曲を熱唱した。常人であれば歌うことはおろか、
立つことすら困難な病状の中でステージに立ちました。
公演当日は会場に一番近い部屋を楽屋とし、簡易ベッドと共に医師も控える状態。
また、万一の事態に備えて裏手に救急車も控えていました。
本番前に楽屋を訪れた浅丘ルリ子は、まるで病室のような楽屋とひばりの様子に
衝撃を受けたと語っています。楽屋でひばりはベッドに横たわっており、
浅丘が心配そうに「大丈夫?」と問いかけると、ひばりは「大丈夫じゃないけど頑張るわ」
と笑顔で答えたそうです。
ドーム公演のエンディングで、約100mもの花道をゆっくりと歩いたひばりの顔は、
まるで苦痛に歪んでいるかのようであった。とても歩けるような状態でないにもかかわらず、
沢山のひばりファンに笑顔で手を振り続けながら全快をアピールしました。
そのゴール地点には和也が控え、ひばりは倒れこむように和也の元へ辿り着き、
そのまま救急車に乗せられて東京ドームを後にしたそうです。
当時、マスコミ各社はひばりの「完全復活」を報道したが、
ひばりにとっては命を削って臨んだ伝説のステージとなりました。
最後のステージから136日後、再入院から3ヶ月後の1989年6月24日午前0時28分、
特発性間質性肺炎の悪化による呼吸不全併発のため、和也らに看取られ死去した。52歳没。
6月25日に通夜、翌26日に葬儀がひばり邸で行われ、芸能界やスポーツ界、
政界からも多数の弔問があった。ひばりの棺を乗せた霊柩車がひばり邸を出る際には、
多くのファンが沿道を埋め尽くし、彼女の死を悼みました。
7月22日に青山葬儀所で行われた葬儀には当時最高記録の4万2千人が訪れました。
喪主は和也が務め、葬儀では萬屋錦之介・森繁久彌・中村メイコ・王貞治・
和田アキ子・とんねるずの石橋貴明が弔辞を読み上げ、北島三郎・雪村いづみ・
森昌子・藤井フミヤ・近藤真彦などひばりを慕った歌手仲間が『川の流れのように』を歌い、
ひばりの霊前に捧げました。戒名は、慈唱院美空日和清大姉(じしょういん みそらにちわせいたいし)。
墓所は、横浜市営日野公園墓地にある。菩提寺は、港南区の唱導寺。
美空ひばりの通算レコーディング曲数は1,500曲、オリジナル楽曲は517曲でした。
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