源義経のお墓(6月15日が命日)
2024/06/15
源義経のお墓(6月15日が命日)
源 義経(みなもと の よしつね、旧字体:源 義經)は、平安時代末期から
鎌倉時代初期にかけての日本の武将。
鎌倉幕府初代将軍源頼朝の異母弟。仮名は九郎、実名は義經(義経)である。
河内源氏の源義朝の九男として生まれ、幼名を牛若丸(うしわかまる)といいます。
平治の乱で父が敗死したことにより鞍馬寺に預けられるが、後に平泉へ下り、
奥州藤原氏の当主・藤原秀衡の庇護を受けます。
兄・頼朝が平氏打倒の兵を挙げる(治承・寿永の乱)とそれに馳せ参じ、
一ノ谷・屋島・壇ノ浦の合戦を経て平氏を滅ぼし、最大の功労者となりました。
その後、頼朝の許可を得ることなく官位を受けたことや、
平氏との戦いにおける独断専行によって怒りを買い、
このことに対し自立の動きを見せたため、頼朝と対立し朝敵とされました。
全国に捕縛の命が伝わると難を逃れ、再び藤原秀衡を頼ります。
しかし、秀衡の死後、頼朝の追及を受けた当主・藤原泰衡に攻められ、
現在の岩手県平泉町にある衣川館で自刃しました。
その最期は世上多くの人の同情を引き、判官贔屓(ほうがんびいき)という言葉を始め、
多くの伝説、物語を生みました。
伝承ではその後、義経の首は藤沢に葬られ祭神として白旗神社(神奈川県藤沢市)
に祀られたとされ位牌が荘厳寺にあります。
胴体は宮城県栗原市栗駒沼倉の判官森に埋葬されたと伝えられます。
また、最期の地である衣川の雲際寺には、自害直後の義経一家の遺体が運び込まれたとされ、
義経夫妻の位牌が安置されていましたが、
平成20年(2008年)8月6日、同寺の火災により焼失しました。
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