有島武郎のお墓(6月9日が命日)
2024/06/09
有島武郎のお墓(6月9日が命日)
有島 武郎(ありしま たけお、1878年(明治11年)3月4日 -
1923年(大正12年)6月9日)は、日本の小説家。
学習院中等科卒業後、農学者を志して北海道の札幌農学校に進学、洗礼を受けます。
1903年に渡米。ハバフォード大学大学院を経て、ハーバード大学で1年ほど歴史、
経済学を学ぶ。帰国後、志賀直哉や武者小路実篤らと共に同人「白樺」に参加します。
1923年、軽井沢の別荘(浄月荘)で波多野秋子と心中しました。
代表作に『カインの末裔』『或る女』や、評論『惜しみなく愛は奪ふ』があります。
1922年(大正11年)『宣言一つ』を発表し、北海道狩太村(現ニセコ町)の有島農場を開放します。
1923年(大正12年)、『婦人公論』記者で人妻であった波多野秋子と知り合い、
恋愛感情を抱く(有島は妻と死別後は再婚せず独身を通します)。
ところが秋子の夫春房に知られる所となり、脅迫を受けて苦しむことになります。
そして6月9日、2人は長野県軽井沢の別荘(浄月荘)で縊死を遂げました。
7月7日に別荘の管理人により発見されるが、梅雨の時期に1ヶ月遺体が発見されなかったため、
相当に腐乱が進んでおり、遺書の存在で本人と確認されたといいます。
複数残されていた遺書の一つには
「愛の前に死がかくまで無力なものだとは此瞬間まで思はなかつた」と残されていました。
有島武郎は東京・多摩霊園に眠ります。
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