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佐藤栄作のお墓(6月3日が命日)

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佐藤栄作のお墓(6月3日が命日)

佐藤栄作のお墓(6月3日が命日)

2024/06/03

佐藤栄作のお墓(6月3日が命日)

 

佐藤 栄作(さとう えいさく、1901年〈明治34年〉3月27日 - 1975年〈昭和50年〉6月3日)は、
日本の鉄道官僚、政治家。位階勲等は従一位大勲位。
1964年から1972年まで内閣総理大臣を務め、
日韓基本条約に批准、非核三原則を提唱、沖縄返還を実現。
内閣総理大臣として、2,798日の連続在任を記録。
1974年にノーベル平和賞を受賞。
旧制山口中学校、旧制第五高等学校、東京帝国大学出身。
運輸次官、内閣官房長官(第4代)を経て政界に転身。


造船疑獄で危機に陥るも、衆議院議員(11期)、郵政大臣(第3代)、電気通信大臣(第3代)、
建設大臣(第7代)、北海道開発庁長官(第4・21・22代)、大蔵大臣(第64代)、通商産業大臣(第20代)、
科学技術庁長官(第12・13代)、内閣総理大臣(第61・62・63代)を歴任しました。
1957年から1960年まで内閣総理大臣を務めた岸信介の弟です。

1975年5月19日、築地の料亭「新喜楽」で、政財界人らとの宴席での最中に
トイレに行こうとして立ち上がったところで崩れるように横倒しとなり、すぐいびきをかき始めたという。
すぐ駆けつけた主治医の東京慈恵医大教授や虎の門病院名誉顧問の医師らが絶対安静を求めます。
家族も誰も病院に運ぼうとしませんでした。倒れた原因は脳溢血。
寛子夫人の強い意向で4日間「新喜楽」で容態を見たあと、港区の東京慈恵会医科大学附属病院に移送されますが
一度も覚醒することなく昏睡を続けたのち、6月3日に死去、74歳。
6月16日、日本武道館で大隈重信以来の「国民葬」が行われました。
葬儀委員長は当時首相だった三木武夫[53]、副委員長は福田赳夫。遺族代表は兄・岸信介でした。


浄土真宗本願寺派第23世門主・勝如より法名「作願院釋和栄」を受け、
また山口県田布施町にある佐藤家菩提寺の浄土真宗本願寺派帯江山真光寺 より
「周山院殿作徳繁栄大居士」の戒名も受けています。
墓所は東京都杉並区永福の築地本願寺和田堀廟所と、郷里の山口県田布施町にあります。
 

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