杉田玄白のお墓(6月1日が命日)
2024/06/01
杉田玄白のお墓(6月1日が命日)
杉田 玄白(すぎた げんぱく、享保18年9月13日〈1733年10月20日〉 -
文化14年4月17日〈1817年6月1日〉)は、江戸時代の蘭学医。
若狭国小浜藩医。私塾天真楼を主催しました。
父は杉田玄甫(甫仙)、母は八尾氏の娘である。
字は子鳳(しほう)、号は鷧齋(いさい)、のちに九幸翁(きゅうこうおう)。
晩年には回想録として『蘭学事始』を執筆し、後に福沢諭吉により公刊されます。
文化2年(1805年)には、11代将軍徳川家斉に拝謁し、良薬を献上しています。
文化4年(1807年)に家督を子の伯元に譲り隠居。著書に『形影夜話』ほか多数。
文化14年(1817年)に83歳で息を引き取る。墓所は東京都港区愛宕の栄閑院。
肖像は石川大浪筆のものが知られ、早稲田大学図書館に所蔵されています(重要文化財)。
1907年(明治40年)11月15日、贈正四位。
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