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足利義満のお墓(5月31日が命日)

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足利義満のお墓(5月31日が命日)

足利義満のお墓(5月31日が命日)

2024/05/31

足利義満のお墓(5月31日が命日)

 

足利 義満(あしかが よしみつ)は、室町時代前期の室町幕府第3代征夷大将軍。
将軍職を辞した後、清和源氏で初の太政大臣。
父は第2代将軍・足利義詮、母は側室・紀良子。
祖父に足利尊氏。
正式な姓名は源 義満(みなもと の よしみつ)。
室町幕府第2代征夷大将軍・足利義詮の長男で足利満詮の同母兄にあたります。

南北朝合一を果たし、有力守護大名の勢力を押さえて幕府権力を確立させ、
鹿苑寺(金閣)を建立して北山文化を開花させるなど、室町時代の政治・経済・文化の最盛期を築きました。
邸宅を北小路室町へ移したことにより義満は「室町殿」とも呼ばれました。
後代には「室町殿」は足利将軍家当主の呼称となりました。
歴史用語の「室町幕府」や「室町時代」もこれに由来します。

 

応永15年(1408年)4月25日には、出家予定であった子の義嗣を親王の例で元服させ、
参議にまで昇進させました。しかしその2日後の4月27日、義満は病に倒れます。
4月28日には見舞の人にも対面しませんでした。
4月29日、医師の坂士仏の治療により快方に向かいますが、5月1日には悪化します。
このため将軍の義持は山科教冬を遣いに送り、諸寺に義満快癒の祈祷を命じました。
その他にも管領などにより義満快癒の様々な催しが行なわれている。しかし5月4日に危篤となり、
昼頃には一旦事切れたかに見えましたが、夕方になって蘇生しました。


5月5日は平静を保ったが、5月6日の申刻過ぎから酉刻近くに遂に死去。享年51(満49歳没)。

法名は鹿苑院天山道義。等持院で火葬された義満の遺骨は、相国寺塔頭鹿苑院に葬られます。
以後相国寺は足利将軍の位牌を祀る牌所になったが、天明の大火で灰燼に帰して衰微した。
鹿苑院に至っては明治になってから廃仏毀釈のあおりで廃寺の憂き目に遭いました。
そのため義満の墓所はその正確な位置が不明となってしまいますが、
位牌は足利家と縁の深かった臨川寺に移され安置されています。

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