東郷平八郎のお墓(5月30日が命日)
2024/05/30
東郷平八郎のお墓(5月30日が命日)
東郷 平八郎(とうごう へいはちろう、旧字体:東鄕 平󠄁八郞、1848年1月27日〈弘化4年12月22日〉 -
1934年〈昭和9年〉5月30日)は、日本の海軍軍人[2]。最終階級は元帥海軍大将。各地の東郷神社に名を残します。
位階は従一位、勲位は大勲位、功級は功一級、爵位は侯爵。
日清戦争では「浪速」艦長として高陞号事件に対処。日露戦争では連合艦隊司令長官として指揮を執り
日本海海戦での完勝により国内外で英雄視され、
「陸の大山、海の東郷」「東洋のネルソン(The Nelson of the East)」と呼ばれます。
治時代の日本海軍の指揮官として日清及び日露戦争の勝利に大きく貢献し、
日本の国際的地位を「五大国」の一員とするまでに引き上げた一人。
日露戦争においては、連合艦隊を率いて日本海海戦で当時世界屈指の戦力を誇った
ロシア帝国海軍バルチック艦隊を一方的に破って世界の注目を集め、その名を広く知られます。
当時、日本の同盟国であったイギリスのジャーナリストらは東郷を「東洋のネルソン」と、
同国の国民的英雄に比して称えています。
日本では、大胆な敵前回頭戦法(丁字戦法)により日本を勝利に導いた世界的な名提督として、
東郷と同藩出身者であり同じく日露戦争における英雄である満洲軍総司令官・大山巌と並び、
「陸の大山 海の東郷」と称され国民の尊敬を集めました。
昭和9年(1934年)には喉頭癌、膀胱結石、神経痛、気管支炎が悪化し、死の床に付いていました。
5月29日に侯爵に陞爵。これに伴い貴族院の侯爵議員となります。
5月30日、満86歳で薨去。薨去に際しては全国から膨大な数の見舞い状が届けらますが、
ある小学生が書いた「トウゴウゲンスイデモシヌノ?」という文面が新聞に掲載され大きな反響をよびました。
東京・多摩霊園に東郷平八郎は眠ります。
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