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木戸孝允のお墓(5月26日が命日)

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木戸孝允のお墓(5月26日が命日)

木戸孝允のお墓(5月26日が命日)

2024/05/26

木戸孝允のお墓(5月26日が命日)

 

木戸 孝允(きど たかよし、天保4年6月26日〈1833年8月11日〉- 

明治10年〈1877年〉5月26日)は、
日本の幕末の長州藩士、勤王志士、明治時代初期の政治家。号は松菊、竿鈴。
 明治維新の元勲として、大久保利通、西郷隆盛とともに維新の三傑の一人に数えられます。
幕末期には桂 小五郎(かつら こごろう)の名で活躍しました。

 

明治10年(1877年)2月に西南戦争が勃発すると、かねてより西郷と旧態依然の
鹿児島県(旧薩摩藩)を批判していた木戸は、すぐさま西郷軍征討の任にあたりたいと希望します。
また大久保利通は、西郷への鎮撫使として勅使の派遣を希望しますが、伊藤博文はこれらに反対しました。
その後、西郷軍征討のために、有栖川宮熾仁親王を鹿児島県逆徒征討総督(総司令官)に任じ、
国軍が出動、木戸は明治天皇とともに京都へ出張します。

ところが、かねてから重症化していた木戸の病気(大腸がんの肝臓転移)が悪化。
明治天皇の見舞いも受けるが、5月26日、京都の別邸で朦朧状態の中、大久保の手を握り締め、
「西郷もいいかげんにしないか」と明治政府と西郷の両方を案じる言葉を発したのを最後に、
木戸はこの世を去りました。享年45(満43歳没)。

 

京都市左京区の霊山護国神社に木戸孝允は眠ります。

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