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由利徹のお墓(5月20日が命日)

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由利徹のお墓(5月20日が命日)

由利徹のお墓(5月20日が命日)

2024/05/20

由利徹のお墓(5月20日が命日)

 

由利 徹(ゆり とおる、1921年〈大正10年〉5月13日 - 1999年〈平成11年〉5月20日)は、
日本の喜劇俳優。本名:奥田 清治(おくだ きよはる)。
1950年代半ばからお笑いユニット“脱線トリオ”の一人として有名になり、解散後は喜劇役者、
またコメディアンとして東北弁を駆使した言い回しや持ちギャグを用いてお茶の間を沸かせました。

1956年(昭和31年)に南利明・八波むと志とともに『脱線トリオ』を結成。
1961年(昭和36年)の脱線トリオ解散後は引き続き南利明や佐山俊二と組むなどしていたが、
単独での活動が主となっていく[3]。単独での映画出演は1957年(昭和32年)には
年間本数5本程度だったのが徐々にオファーが増えて、
翌1958年(昭和33年)から1972年(昭和47年)頃までは
年間10本以上(多い時で20本超え)も出演するようになります。

 

1973年(昭和48年)からは、『時間ですよ』(TBS系)や『寺内貫太郎一家』(同)など
久世光彦演出・プロデュースによるテレビドラマの常連でもありました。
他にも多くの映画、ドラマに出演して活躍。また、1979年(昭和54年)には、
日劇公演『雲の上団五郎一座』の4代目座長に就任[6]するなど多忙を極めました。

1983年(昭和58年)、故郷・石巻市から市民栄誉賞を受賞。授賞式に際し凱旋帰郷した由利は、
「学校の成績はビリで、警察にも補導された自分が…。」と感慨深げだったそうです。
1991年(平成3年)4月、日本喜劇人協会会長に就任。
1993年(平成5年)、勲四等瑞宝章受章。
1999年(平成11年)5月20日午後9時30分、肝臓癌のため(世田谷区内の病院)で死去。78歳没。
長男は「病院の医師からもういよいよダメだと告げられた時、親しかった赤塚不二夫さんをはじめ、
駆けつけた見舞客の方たちが、隣室で酒盛りを始めたんです。
その中で息を引き取った。父らしい最期でした」と語っています。

 

晩年は、新しい喜劇を演じられる役者として佐藤B作、柄本明、斎藤晴彦らを配し、
自らの総決算的な公演を行うという構想を持っていたが、実現しませんでした。
墓所は東京都世田谷区森巌寺。
 

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