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犬養毅のお墓(5月15日が命日)

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犬養毅のお墓(5月15日が命日)

犬養毅のお墓(5月15日が命日)

2024/05/15

犬養毅のお墓(5月15日が命日)

 

犬養 毅(いぬかい つよし[注釈 1]、旧字体:犬養󠄁 毅、1855年6月4日〈安政2年4月20日〉- 
1932年〈昭和7年〉5月15日)は、日本の政治家。位階は正二位。勲等は勲一等。通称は仙次郎。号は木堂、子遠。
中国進歩党代表者、立憲国民党総理、革新倶楽部代表者、立憲政友会総裁(第6代)、
文部大臣(第13・31代)、逓信大臣(第27・29代)、内閣総理大臣(第29代)、外務大臣(第45代)、
内務大臣(第50代)などを歴任しました。五・一五事件で暗殺されます。

 

1932年(昭和7年)5月15日は晴れた日曜日だった。犬養は総理公邸でくつろいでいました。この日、夫人は外出中でした。
17時ごろ、護衛の巡査が走り込んできて暴漢侵入を告げ、逃げるよう促します。
犬養が「逃げない、会おう」と応じたところに、海軍少尉服2人、陸軍士官候補生姿の3人からなる一団が乱入してきます。
襲撃犯の一人は犬養を発見すると即座にピストルの引き金を引きました。
しかし不発に終わり、その様子を見た犬養は「撃つのはいつでも撃てる。あっちへ行って話を聞こう」
と言い一団を日本間に案内しました。日本間に着くと、彼らに煙草を勧めてから、
「靴でも脱げや、話を聞こう」と促します。
そこへ後続の4名が日本間に乱入、「問答無用、撃て」の叫びとともに全員が発砲します。
女中のテルらが駆けつけると、犬養は顔面に被弾して鼻から血を流しながらも意識ははっきりしており、
縋りつく女中に「呼んで来い、いまの若いモン、話して聞かせることがある」と命じたといいます。
18時40分、医師団は「体に入った弾丸は3発、背中に4発目がこすれてできた傷がある」と発表。
見舞いに来た家人に犬養は「九つのうち三つしか当らんようじゃ兵隊の訓練はダメだ」と嘆いたそうです。
しかしその後は次第に衰弱し、23時26分に帰らぬ人となりました。享年78(満76歳没)。


5月19日、犬養の葬儀が総理大臣官邸の大ホールでしめやかにとり行われました。
たまたま来日中で官邸からほど近い帝国ホテルに滞在しており、
事件当日には犬養の息子である健と会食していた喜劇王チャーリー・チャップリンから寄せられた
「憂国の大宰相・犬養毅閣下の永眠を謹んで哀悼す」との弔電に驚く参列者も多かったそうです。
この葬儀の模様については、フランスから来た女性ジャーナリスト、アンドレ・ヴィオリスも
その著『1932年の大日本帝国』で描写しています。
墓所は港区の青山霊園と岡山市北区川入にあります。

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