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葛飾北斎のお墓(5月10日が命日)

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葛飾北斎のお墓(5月10日が命日)

葛飾北斎のお墓(5月10日が命日)

2024/05/10

葛飾北斎のお墓(5月10日が命日)

葛飾 北斎(かつしか ほくさい、旧字体:葛飾󠄁 北齋、宝暦10年9月23日〈1760年10月31日〉-
 嘉永2年4月18日〈1849年5月10日〉)は、江戸時代後期の浮世絵師。
19歳で勝川派の頭領勝川春章に師事し絵師としての活動を始めて以降、
安永8年(1779年)から嘉永2年(1849年)までの70年間に渡って、人間のあらゆる仕草や、
花魁・相撲取り・役者などを含む歴史上の人物、富士山・滝・橋などの風景、虫、鳥、草花、建物、
仏教道具や妖怪・象・虎・龍などの架空生物、波・風・雨などの自然現象に至るまで森羅万象を描き、
生涯に3万4千点を超える作品を発表しました。

その画業分野も版画(摺物)のほか、肉筆浮世絵、黄表紙、読本、狂歌本、絵手本、春画など多岐に渡ります。

 

ありとあらゆるものを描き尽くそうとした北斎は、西洋由来の絵画技術にも大いに興味を示し、
銅版画やガラス絵、油絵などの描法を研究し試みました。
北斎の画業は欧州へと波及し、ジャポニスムと呼ばれるブームを巻き起こして
19世紀後半のヨーロッパ美術に大きな影響を及ぼします。
化政文化を代表する画家として存命時より高い知名度を持っていましたが、
1998年にアメリカの雑誌『ライフ』が企画した「この1000年間で最も偉大な業績をあげた世界の100人」に
日本人として唯一のランクインを果たしたことで、日本国外での評価の高さを知らしめるとともに、
日本国内においても評価が再考されるようになりました。

 

嘉永2年4月18日、北斎は卒寿(90歳)にて臨終を迎えました。
『葛飾北斎伝』ではその時の様子が次のように伝えられています・・

翁死に臨み、大息し「天我をして十年の命を長ふせしめば」といひ、
暫くして更に謂て曰く、「天我をして五年の命を保たしめば、真正の画工となるを得べし」と、言訖りて死す。
( 『葛飾北斎伝』より引用)

東京都台東区・誓教寺にある墓碑に刻まれた辞世の句は、
悲と魂て ゆくきさんじや 夏の原
「人魂になって夏の野原をのびのび飛んでゆこう」というものです。

 

また、戒名として「南総院奇誉北斎信士」が墓碑に刻まれており、
誓教寺が所蔵する過去帖には「南牕院奇誉北斎居士」と記されています。
 

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