テレサ・テンのお墓(5月8日が命日)
2024/05/08
テレサ・テンのお墓(5月8日が命日)
テレサ・テン(1953年1月29日 - 1995年5月8日、中華圏で使用された名前は鄧麗君〈デン・リージュン〉)は、
台湾出身の歌手。1970年代から1990年代にかけて、中華文化圏全域ないし日本、タイ、
マレーシアなども含めたアジアにおいて広く人気を博したその業績から、
生前から没後も「アジアの歌姫」と呼ばれています。
父親は中国河北省邯鄲市、母親は中国山東省出身で共に外省人で、また父親は元中国国民党軍の職業軍人であり、
彼女自身、軍隊への慰問活動を熱心に行っていたこともあり、
「軍人の恋人」(中国語:軍中情人)というニックネームでも有名。
身長165cm、血液型はO型。
1989年5月27日には、かねてから中華人民共和国内で起きていた民主化要求デモを支援する目的で行われた、
香港ハッピーヴァレー競馬場での中華人民共和国の民主化支援コンサートに参加します。
約30万人の前で、平和を願う「我的家在山的那一邊」(私の家は山の向こう)を歌い、
亡命した民主化活動家とも交流を持った。しかし彼女の願いはかなわず、北京で天安門事件が起きてしましました。
1990年に予定されていた、彼女の夢であった両親の生まれた中国本土での初のコンサートも中止になります。
当時、その心境を「夢は殺され 夢は見ることさえできなくなってしまった」と語っています。
同1989年、失意の中アジアを離れて、フランスのパリに単身移ります。
中国への思いをさらに深めるようになり、1992年に中国で広く愛されている「夜来香(イェライシャン)」を
新たにレコーディングする。この頃、喘息を悪化させ、次第に体調を崩していきます。
1990年以降は表舞台からも距離を置き、日本を訪れることも減ります。
日本での最後のテレビ出演は、1994年11月に放送されたNHK『歌謡チャリティーコンサート』(仙台市にて公開録画)でした。
1995年5月8日、静養のためたびたび訪れていたタイ・チェンマイのメイピンホテルで気管支喘息による発作を起こし、
搬送先のチェンマイラーム病院で死去。苦しみのあまり部屋から出てきたテレサが倒れたところを、
ホテルの従業員が発見し連絡。ラーム病院に救急搬送されたが、普段は10分で着くところが道路事情の悪さで30分も要します。
その後は心臓マッサージや電気ショックによる蘇生が45分間行われますが、
現地時間17時30分(台湾時間同18時30分、日本時間同19時30分)に死亡したという。42歳の若さでした。
墓所は台北市の北東に位置する新北市金山区西勢湖の金宝山(中国語版)にあり、小さな公園のように整備され、
本名の一字を取って「筠園(中国語版)」と呼ばれています。
墓前には銅像があり、彼女の歌声が絶えず流されています。没後10年目に当たる2005年5月8日には、
日本をはじめとするアジア各国からファン300人ほどが墓所に詰めかけ、
追悼集会を開いて生前のテレサ・テンを偲びました。
台湾での彼女はあまりにも偉大なので、遺体は火葬されず、エンバーミングなどを施されて土葬されます。
没後50年は生前の姿であり続けます。なお、台湾でこのような形で眠っているのは、
蔣介石、蔣経国、テレサ・テンの3人です。
----------------------------------------------------------------------
ゆぎおす
東京都稲城市平尾1-45-2
サイレントパーク15-203
電話番号 : 090-3502-5199
FAX番号 : 050-3131-0416
稲城市でお墓参り代行サービス
----------------------------------------------------------------------