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由利公正のお墓(4月28日が命日)

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由利公正のお墓(4月28日が命日)

由利公正のお墓(4月28日が命日)

2024/04/28

由利公正のお墓(4月28日が命日)

 

由利 公正(ゆり きみまさ / ゆり こうせい、文政12年11月11日〈1829年12月6日〉-
 明治42年〈1909年〉4月28日)は、日本の武士(福井藩士)、政治家、財政家、実業家。
子爵、麝香間祗候。旧姓は三岡。通称を石五郎、八郎。字を義由、雅号に雲軒など。

明治維新後、土佐藩の福岡孝弟らと共に五箇条の御誓文の起草に参画。
(公正が作成した「議事之体大意」が原文となっている)
新政府では徴士参与として、金融財政政策を担当します。


慶応4年2月16日、参与会計事務掛由利は、紙幣製造対策を建白し、
慶応4年1月24日、政府は300万両製造を決定、由利に事務管掌を命令します。
会計事務掛・御用金穀取締として、会計基立金募集や太政官札発行、
商法司設置など積極的な政策を推進したものの、太政官札の流通難など
政策に対する批判が高まった結果、明治2年(1869年)に辞職するに至ります。
この頃、外国人技師を引き連れて宇都宮藩が放棄した篠井金山の
採掘に乗り出したものの、事業は軌道に乗りませんでした。

 

明治4年(1871年)に東京府知事に就任。明治5年(1872年)5月、
岩倉使節団の随行に加わることになりアメリカ、ヨーロッパへ渡航し、
各国の自治制度・議会制度などを研究。明治7年(1874年)、板垣退助や江藤新平らと共に、
政府に対して民撰議院設立建白書を提出しました。
明治8年(1875年)に元老院議官に任ぜられ、明治20年(1887年)5月24日に子爵に叙せられます。
明治23年(1890年)には貴族院議員。同年10月20日、麝香間祗候となります。
明治27年(1894年)3月、京都にて有隣生命保険会社の初代社長に就任しました。

 

明治42年(1909年)4月28日、脳溢血のため東京市芝区高輪の自宅で死去。
79歳没。墓所は東京都品川区の海晏寺にあります。
 

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