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松下幸之助のお墓(4月27日が命日)

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松下幸之助のお墓(4月27日が命日)

松下幸之助のお墓(4月27日が命日)

2024/04/27

松下幸之助のお墓(4月27日が命日)

 

松下 幸之助(まつした こうのすけ、1894年〈明治27年〉11月27日 - 1989年〈平成元年〉4月27日)は、
日本の実業家、発明家、著述家。位階は正三位。
パナソニックホールディングスを一代で築き上げた経営者。異名は「経営の神様」。
その他、PHP研究所を設立して倫理教育や出版活動に乗り出しました。
さらに晩年は松下政経塾を立ち上げ、政治家の育成にも意を注ぎました。

大阪府東成郡鶴橋町猪飼野(現:大阪市東成区玉津2丁目)の自宅で、妻むめのと、
その弟の井植歳男(営業担当、後に専務取締役、戦後に三洋電機を創業して独立)、
および友人2名の計5人で、同ソケットの製造販売に着手。
しかし、新型ソケットの売り上げは芳しくなく、友人2名は幸之助のもとを去ったが、
川北電気(現在のパナソニック エコシステムズ)から扇風機の部品を大量に受注したことにより窮地を脱します。
その後、アタッチメントプラグ、二灯用差込みプラグがヒットしたため経営が軌道に乗ります。

 

事業拡大に伴い、1918年に大阪市北区西野田大開町(現:大阪市福島区大開2丁目)で
松下電気器具製作所(現・パナソニックホールディングス)を創業。電球ソケットに続き、
カンテラ式で取り外し可能な自転車用電池ランプ(1925年から「ナショナル」商標を使用開始)を考案し、
これらのヒットで乾電池などにも手を広げます。


1929年の松下電器製作所への改称と同時に『綱領・信条』を設定します。

1973年、80歳を機に現役を引退し、相談役に退いた。1974年には奈良県明日香村の名誉村民となる。
1974年から1983年まで中野種一朗の後任として伊勢神宮崇敬会第3代会長を務め、
後に松下正幸も第8代会長を務めます。
1979年、私財70億円を投じて財団法人松下政経塾を設立し、政界に貢献しようとしました。
1989年4月27日午前10時6分に気管支肺炎のため、守口市の松下記念病院において死去。
享年96(満94歳没)。法名は光雲院釋眞幸。死亡時遺産総額は約2450億円で、日本で最高とされています。

和歌山県和歌山市の千旦にある生誕の地の横にお墓があります。
 

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