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海老原博幸のお墓(4月20日が命日)

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海老原博幸のお墓(4月20日が命日)

海老原博幸のお墓(4月20日が命日)

2024/04/20

海老原博幸のお墓(4月20日が命日)

 

海老原 博幸(えびはら ひろゆき、1940年3月26日 - 1991年4月20日)は、
日本の男性元プロボクサー。東京都福生市出身。
本名は松田博幸。協栄ボクシングジム所属。
元WBA・WBC世界フライ級王者。
日本人初のWBC世界王者かつ二団体統一世界王者(ただし当時はWBA・WBC分立前だったため、
公式には統一王者とはみなされていない)。
東京都立第五商業高等学校中退。
同じ階級のファイティング原田、青木勝利とともに「フライ級三羽烏」と呼ばれました。

 

同時期のライバルで後に親友となるファイティング原田
(東日本新人王決勝で両者は対決し、原田の判定勝ち)は「海老原は天才だった」と述べており、
名王者リカルド・ロペスも大橋秀行との対談で海老原の実力を高く評価しています。
当時数多くの強豪が犇いていたフライ級の戦線で原田にこそ敗れたが、
三羽烏のライバル青木勝利、東洋王座を10度防衛する中村剛(通算4戦して3勝1分)、
後の世界王者チャチャイ・チオノイ、そして現役世界王者ポーン・キングピッチなどを相手に
国内歴代3位となる29連勝(世界戦を除いた戦績は62戦60勝1敗1分)を達成、
連勝ストップ後も海外で後の世界王者アラクラン・トーレスに2勝するなどフライ級では
屈指の実力者であった。その実力の高さから、ポーンを破り世界王座を獲得した
サルバトーレ・ブルニ( イタリア)の陣営が頑なに海老原との対戦を拒んだというエピソードもあります。

 

天性のリズムと絶妙のタイミングから放たれる左ストレートは、カミソリ・パンチと称され、
その強打を駆使し国内歴代2位となる33KOを記録。師匠で数多くの世界王者を育てた金平も
「最もパンチ(力)があったのは海老原だ」と語るほどでした。
また精神力も高く、試合中に拳を骨折しながら試合終了まで耐える事もしばしばであり、
海老原を含む多くの世界王者を育てた名トレーナーエディ・タウンゼントも後に
「一番ガッツがあったのは海老原だった。海老原は本当の男だ」と語っています。

 

引退後は協栄ジムのトレーナーやテレビ東京の解説者を務めました。
1986年8月、娘を交通事故で亡くしています。その後、過度の飲酒により
肝機能障害を患い、1991年4月20日に51歳で死去しました。
原田は「俺は親の葬式でも泣かなかったが、海老原が死んだ時は泣きまくった」

と大ショックを受けました。

海老原博幸は東京都八王子の大善寺に眠ります。
 

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