川端康成のお墓(4月16日が命日)
2024/04/16
川端康成のお墓(4月16日が命日)
川端 康成(かわばた やすなり、1899年〈明治32年〉6月14日 - 1972年〈昭和47年〉4月16日)は、
日本の小説家・文芸評論家。日本芸術院会員、文化功労者、文化勲章受章者。
1968年に日本人初のノーベル文学賞を受賞しました。位階・勲等は正三位・勲一等。
大正から昭和の戦前・戦後にかけて活躍した近現代日本文学を代表する作家の一人です。
代表作は、『伊豆の踊子』『浅草紅団』『抒情歌』『禽獣』『雪国』『千羽鶴』
『山の音』『眠れる美女』『古都』など。
ノーベル文学賞をはじめ、多くの文学賞を受賞し、日本ペンクラブや
国際ペンクラブ大会で尽力したが、多忙の中、1972年(昭和47年)4月16日夜、72歳でガス自殺しました。
なお、遺書はありませんでした。
1972年4月16日の午前11時頃、しゃがみこんで郵便物や寄贈本などに目を通していた川端に、
婿の香男里が「おはようございます」と声をかけると、川端は会釈して書斎に引き上げていきました。
2時頃、川端と秀子夫人はお手伝いの鹿沢縫子を呼び、働く期間を11月まで延長してほしいと頼んだが、
縫子は「予定通り4月までで穂高に帰ります」と答え、川端は「駄目ですか。…そうですか」と小さく言いました。
2時45分過ぎ頃、川端は「散歩に行く」と家人に告げ、鎌倉の自宅を出てハイヤーを拾い(運転手は枝並二男)、
同年1月7日に仕事場用に購入していた神奈川県逗子市の逗子マリーナ本館の部屋(417号室)に
午後3時過ぎに到着します。夜になっても自宅に戻らないので、
手伝いの嶋守敏恵と鹿沢縫子が午後9時45分過ぎに逗子マリーナを訪れ、異変に気づきます。
マンションの自室で、長さ1.5メートルのガス管を咥えた川端が絶命しているのが発見され、
ガス自殺と報じられた(秀子夫人は、ガス管は咥えていないとしています)。72歳で永眠。
死亡推定時刻は午後6時頃でガス中毒死でした。洗面所の中に敷布団と掛布団が持ち込まれ、
入り口のガスストーブの栓からガス管を引いて、薄い掛布団を胸までかけて眠っているかのように死んでいたそうです。
常用していた睡眠薬(ハイミナール)中毒の症状があり、書斎から睡眠薬の空瓶が見つかります。
部屋には〈異常な才能〉と高評価して前年に購入した村上肥出夫の絵『キャナル・グランデ』が飾られ、
枕元には、封を切ったばかりの飲みかけのウイスキー(ジョニーウォーカー)の瓶とコップがあり、
遺書らしきものはありませんでした。その突然の死は国内外に衝撃を与えました。
墓所は神奈川県鎌倉市の鎌倉霊園にあります。
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ゆぎおす
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