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三波春夫のお墓(4月14日が命日)

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三波春夫のお墓(4月14日が命日)

三波春夫のお墓(4月14日が命日)

2024/04/14

三波春夫のお墓(4月14日が命日)

 

三波 春夫(みなみ はるお、1923年〈大正12年〉7月19日 - 
2001年〈平成13年〉4月14日、本名:北詰 文司(きたづめ ぶんじ))は、
新潟県三島郡塚山村(現・長岡市)出身の浪曲師、演歌歌手。


紫綬褒章受章、勲四等旭日小綬章受章、新潟県民栄誉賞受賞。


自身の長編歌謡浪曲などの作詞・構成時のペンネームとして

「北村 桃児(きたむら とうじ)」を用いました。
俳号は「北桃子(ほくとうし)」。

戦後昭和の歌謡界黄金期を代表する歌手の一人。
元浪曲師・南篠文若(なんじょう ふみわか)としての経歴を活かし、
浪曲を題材に自ら創作した歌謡浪曲を得意としました。
特に「元禄名槍譜 俵星玄蕃」に代表される長編歌謡浪曲は、三波ならではの至芸とも評されます。
いつも絶やさぬ朗らかな笑顔と浪曲で鍛えた美声で知られ、
歌謡曲の衣装に初めて和服を使用した男性歌手でもあります。
自らの芸と観客に対する真摯な姿勢は、あまりに有名な
「お客様は神様です」のフレーズを生む基盤ともなりました。

 

三波デビューの翌年、1958年のデビューで同じ浪曲師出身の村田英雄とは
長年ライバル同士とも位置付けられ、両者の間には様々なエピソードが生まれました。
1994年に前立腺がんの診断・病名告知を受けているが、死去までの7年間、
家族や近しい関係者以外にはその事実を隠し通し、
闘病を続けながら最晩年まで精力的に音楽活動を続けました。

タレント・俳優・歌手の三波豊和は長男。三波の死後に解散した所属事務所
「株式会社三波プロダクション」の継承会社、

「株式会社三波クリエイツ」代表取締役・八島美夕紀は長女。
かつては『三波美夕紀』の芸名でタレント活動をしていたこともあり、
晩年の11年間、三波のマネージャーを務めました。

 

戦前から活躍する浪曲師でしたが、第二次世界大戦中に

シベリア抑留を経て戦後再出発して以降は、
戦火にまみれた国土と荒廃した人心に勇気を与えるべく、

その自慢の美声で一般庶民に応援歌を送り続けました。
その天真爛漫な歌声と姿勢は、ややもすると安っぽい薄っぺらな大きな張りぼてみたいなものだと
揶揄する向きもありますが、自分自身の艱難辛苦を微塵にも感じさせずに
あそこまでサービス精神にのっとり、常に大衆に向けて
良質の歌謡曲を送り続けエネルギッシュに活動し、そして最後に病魔に苦しんでいることを
悟られずに潔く死を迎える、その人間性も含めてスケールの豊かな偉大な歌手でした。

戒名は「大乗院法音謡導日春居士」。墓所は東京都杉並区の妙法寺。

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