江藤新平のお墓(4月13日が命日)
2024/04/13
江藤新平のお墓(4月13日が命日)
江藤 新平(えとう しんぺい、天保5年2月9日(1834年3月18日) -
明治7年(1874年)4月13日)は、江戸時代後期の武士(佐賀藩士・権大参事)、
明治時代の政治家、官吏、教育者。幼名は恒太郎、又蔵。
諱は胤雄、胤風とも、号は南白または白南。
朝臣としての正式な名のりは平胤雄(たいら の たねお)。位階は贈正四位。
東征大総督府軍監、徴士、制度取調専務、左院副議長(初代)、
文部大輔(初代)、司法卿(初代)、参議、佐賀征韓党首を歴任。
立法・行政・司法がそれぞれ独立する「三権分立」を推進し、
わが国近代司法体制の生みの親として「近代日本司法制度の父」と称されます。
また、司法制度・学制・警察制度の推進と共に「四民平等」を説き浸透させました。
明治22年(1889年)、大日本帝国憲法発布に伴う大赦令公布により賊名を解かれます。
大正5年(1916年)4月11日、贈正四位。
墓所は佐賀県佐賀市の本行寺。墓碑銘「江藤新平君墓」は書家としても知られる同門の
副島種臣が明治10年(1877年)に手がけました。同市の神野公園に銅像もあります。
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