宮口精二のお墓(4月12日が命日)
2024/04/12
宮口精二のお墓(4月12日が命日)
宮口 精二(みやぐち せいじ、1913年11月15日 - 1985年4月12日)は、日本の俳優。
本名は宮口 精次。身長159cm。
築地座を経て文学座に参加し、同座の中心として多くの舞台に立ち、
文学座退団後は東宝演劇部に所属して商業演劇に出演しました。
戦後から映画にも多く出演、巨匠監督の作品に立て続けに起用され脇役として活躍した。
主な出演映画に『七人の侍』『張込み』『日本のいちばん長い日』など。
亡くなるまで約15年間、編集兼発行人として季刊『俳優館』を出し続けました。
戦後の映画出演は、1946年(昭和21年)の『浦島太郎の後裔』に出たあとしばらく出演がありませんでした。
1948年に立川富美子と結婚。1951年(昭和26年)に木下惠介監督の『善魔』に出演したのを皮切りに、
小津安二郎の『麦秋』、黒澤明監督の『生きる』『七人の侍』、
木下監督の『楢山節考』、稲垣浩監督の『無法松の一生』、
野村芳太郎監督の『張込み』、中村登監督の『古都』、篠田正浩監督の『乾いた花』、
山田洋次監督の『男はつらいよ 柴又慕情』など、
日本映画を代表する監督の作品に次々と起用されます。
なかでも、『七人の侍』では痩身で寡黙だが凄腕の剣客・久蔵、『張込み』では
執念深い老刑事を演じて好演技を見せました。
他に、複数作品に出演した監督だけでも小林正樹、今井正、山本薩夫、
市川崑、岡本喜八、成瀬巳喜男らの名が並びます。
1970年(昭和45年)より個人で演劇冊子『俳優館』を主宰、季刊発行していました。
アマチュア野球の審判としても知られ、後楽園球場や大阪スタヂアムで球審を務めたこともあります。
1985年(昭和60年)4月12日午後11時30分、肺癌のため国立東京第二病院で死去。71歳没。
1984年(昭和59年)の帝国劇場『桜の園』が最後の舞台となりました。
宮口精二のお墓は東京都墨田区の瑞泉寺にあります。
細長い形状の墓には「俳優 宮口精二」とあり、右横に略歴が刻まれた墓誌が建つ。
戒名は「演厚院章誉棈人居士」
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